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14 女のエクリチュール

11/2/2018

 
Y――お久しぶり。このところあなた、フェミニズムの矛先が鈍っているのじゃない?
K――いえ、怒るネタはいくらでもありますよ。女子や浪人の受験者を一律減点していた(!)という医大の不正入試。LGBTの「非生産性」(!)なるものをめぐる与党女性議員の問題発言とその後のメディア論争の顛末。最近のきわめつきは、新内閣の女性閣僚が1名だけ(!)という強烈な差別。今年6月に発足したスペインの新内閣では17人中11人が女性(!)だというのに‥‥‥。
Y――そりゃ、意気阻喪するわよね。しかも首相の弁明のお粗末さ。わが国における「女性活躍」はまだ始まったばかりだから‥‥‥、1人でも2人分、3人分の活躍をしてもらおう‥‥‥。
K――それって、女は育児と仕事と介護で3人分の活躍をしろというのと、なんか似てません? そもそも「始まったばかり」というのは長年首相の座にあった者の発言ではない。宿題をさぼった子供の言い逃れですよ。本人が「代表制」を「代表」する立場でしょ、いったい何を謂わんとしているわけ? 昔なら夫婦喧嘩で負けそうになった亭主が相手の正論を「女の浅知恵」とか決めつけて逃げる、みたいな感じかな?
Y――ん?? 「3人分」という「屁理屈」が「女の浅知恵」というなら、わかるけど。でも、それじゃ女に失礼ですよ。それより、メニュー。
K――お、ポルチーニがある。秋ですねえ。
Y――わたしも大好き。日本のマツタケより美味しいと思わない? 豪勢に、オリーヴ・オイルで焼いて軽くニンニクの香りをつけただけのやつを、丸ごと食べたい‥‥‥。
 
 というわけで今回は、東京駅前、新丸ビルの高層階にあるらしいイタリアンでのおしゃべりから始まりました。Yは山田登世子さん。回想された場面というより、このブログではお馴染みのスタイル、つまり冥府との対話です。一昨年の夏、登世子さんが急逝されてから、いろいろと思い返す機会があり、文章を書くのも今回で3度目になる。まずは追悼のために編まれた『月の別れ――回想の山田登世子』(*注1) のエッセイ、そして再刊される『メディア都市パリ』(*注2) の「解説」を書き、まだ何か書き足りない、さらに大きな同時代性みたいなものがあるはず、という強い思いに促され、考えつづけているところです。
 以前のエッセイでも述べたように「批評言語に男女が平等に参画しているか、という点に関して、日本は絶望的に後進国」(12回参照)なのですが、その日本の戦後社会において、山田登世子は初めて〈批評〉とは何かを真剣に考えたひとであり、さらには初めて〈女のエクリチュール〉を実践したひとだった、とのっけから、いささか無謀に断言しておきましょう(文学の創作という領域は別枠として)。
 面識もないままに本を送り合うようになったのは、かなり昔のことですが、名古屋にお住まいの登世子さんが上京するときに声をかけてくださり、新幹線に飛び乗る時間まで、新丸ビルのレストランで語り合うようになったのは、たぶん10年ほど前からです。おたがい個人的な事情もありますから、数えるほどしかご一緒したことはないけれど、やはり特別のひとだった。「連帯感」solidaritéというのでしょうか、「書くひと」としての山田登世子を語ってみたいのです。
 でも、その前に「語るひと」について、ごく簡単に。女どうしのヒソヒソ声での打ち明け話は大嫌い、というところは似ていたと思う。登世子さんの自己紹介は、筑豊炭田のボタ山から始まりました。父上が弁護士で、荒っぽい労働者の傷害事件などを引き受けることが多く、それこそヤクザまがいの男たちに可愛がられて自分は育った、と。気風がよくて洒脱なひとであり、「婀娜っぽいヤクザのお姉様」と題した短文をわたしが追悼集に寄せたのは、新丸ビルのレストランで美味しいものを食べながら、日本のオトコ社会を斬って斬りまくり、言いたい放題を言い合った二人の出遭いを記念するためでもありました。
 ところで「ヤクザっぽいエクリチュール」というものが、あるでしょうか。そんなことを考えてしまったのは、1991年に、山田登世子は蓮實重彦に「喧嘩を売って」いるからです。『メディア都市パリ』の「ほんとうの後書き」という不思議なタイトルをつけた「後書き」の締めくくりにある話。ここは一呼吸して、しっかり想像していただきたい。数少ない女性研究者は男性研究者の語彙と論法を習得して作法どおりの論文を書き、少数の立派な「女性作家」はいたけれど「批評家」として認知された女性は同時代にも過去をふり返っても皆無、まさに前例がない、という時代だったのです。
 『メディア都市パリ』のほんとうの目標は「霊感」の解体であったと著者は「ほんとうの後書き」で述べている――「バルザックやユゴーは霊感によって書いたなどという紋切り型を放置しておいてはならない。ましてや、小説は、霊感によって書きえなくなった者の失望の体験から始まるといった物語がまことしやかに流通するのを放置しておいてはならない‥‥‥」と。「近代小説はフロベールから始まると断定するその本」が『物語批判序説』(*注3) であることは言うまでもないとして、「バルザックやユゴーは霊感によって書いた」という「不用意な断言」については、「紋切り型を回避し、凡庸を指弾するに周到な言説を用意する蓮實節にはあまりにそぐわぬ凡庸な断言」であると断定する。「喧嘩を売って」いるのか、「因縁をつけて」いるのか。そこまで言ってしまった山田登世子はいかなる仕掛けと戦略をもって論争に臨むのか‥‥‥。

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    Author

    工藤庸子
    ​(くどうようこ)
    ​フランス文学、ヨーロッパ地域文化研究。東京大学名誉教授。1944年生まれ。

    *主要著書・訳書
    『恋愛小説のレトリック――『ボヴァリー夫人』を読む』(1998年)
    『ヨーロッパ文明批判序説――植民地・共和国・オリエンタリズム』(2003年)
    『近代ヨーロッパ宗教文化論――姦通小説・ナポレオン法典・政教分離』(2013年)
    『評伝 スタール夫人と近代ヨーロッパ――フランス革命とナポレオン独裁を生きぬいた自由主義の母』(いずれも東京大学出版会、2016年)
    マルグリット・デュラス『ヒロシマ・モナムール』(河出書房新社、2014年)

    羽鳥書店
    『いま読むペロー「昔話」』訳・解説(2013年)
    『論集 蓮實重彦』編著(2016年)
    『〈淫靡さ〉について』蓮實重彦との共著(2017年)

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