羽鳥書店 Web連載&記事
  • HOME
    • ハトリショテンだより >
      • 近刊新刊 案内
      • 図書目録
    • 人文学の遠めがね
    • 憲法学の虫眼鏡
    • 女川だより
    • 石巻だより
    • バンクーバー日記
  • 李公麟「五馬図」
  • ABOUT
  • OFFICIAL SITE
  • HOME
    • ハトリショテンだより >
      • 近刊新刊 案内
      • 図書目録
    • 人文学の遠めがね
    • 憲法学の虫眼鏡
    • 女川だより
    • 石巻だより
    • バンクーバー日記
  • 李公麟「五馬図」
  • ABOUT
  • OFFICIAL SITE
画像
​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第46便 漁師さん親子と<6> 虹色のカメ   第1話 親友

6/21/2017

 
 ​女川町唯一の中学校、女川中の運動会は、私にとって貴重な再会の場です。
 2015年9月の運動会も。校庭を見渡すと。いました、漁師さんの長男、智博君。
画像

 この時、高校2年生。竣哉君と柚希君も一緒です。
 中学1年の時から知る3人。会うたび、その成長に目を見張ります。
 ――ゆず君、しゅんや君。とも君と写真とらせて。
 そうお願いしてカメラを構えると、あら、とも君。
 ​1年後輩のゆず君の陰で、ひとつ目小僧に。ちゃめっけは変わりません。
画像

 3人は運動会のハイライト「さんまDEサンバ」を待ち構えていました。

 町の人が作詞作曲し、町の人が振付、町の「おながわ秋刀魚収獲祭」で披露する踊りですが、運動会恒例の出し物でもあります。赤組と青組は自分たちの踊りの輪にどれだけ多くの観客を引き込めるか競います。
 前年は気恥ずかしさで輪に入れなかった竣哉君が、今回は踊るぞと意を決し、智博君と柚希君を誘いました。
  中学卒業後、智博君は石巻好文館、竣哉君は石巻、柚希君は石巻商業、と別々の県立高校へ進学。高校を出たら、智博君と竣哉君はそれぞれ大学で歴史、文学を、柚希君は公務員を志望。異なる進路を歩む3人ですが、一緒の姿をよく見かけます。
 
 竣哉君も柚希君も言葉を丁寧に紡ぎます。
 2人は、女川港の北岸、石浜の集落で育ちました。
 たがいの家は目と鼻の先。
 幼い竣哉君は、赤ん坊の柚希君が歩き始めるのを待ちかねたように、おもちゃの刀を背負って遊びに通いました。
 
 あの日。石浜の2人の家は共に流されました。
 春。柚希君は女川第二小学校6年生になります。
 授業で、自分の思いを絵か言葉で表現するように言われ、詩を書くことにしました。
 「これから僕たちはどうしたらいいんだろう。女川は流された」と書きつけます。
 後ろ向きだな。そう思い、消しました。
 「生まれ変わる」という言葉が浮かびました。
 「女川は流されたのではない。新しく生まれ変わるんだ」と記します。
 強調したくて「女川に」を足しました。
 次に「人々は待ち続ける」と書いて、また消しました。
 ただ待つんじゃない。負けずに、だ。
 45分の授業終了と同時に仕上げたのが、次の4行詩です。 
 
  女川は流されたのではない
  新しい女川に生まれ変わるんだ
  人々は負けずに待ち続ける
  新しい女川に住む喜びを感じるために
 
 震災を思い出すたび、嫌な気持ちになっていました。車中泊の避難生活は大変でした。家の跡地に立った時の鉄さびの臭いと魚の腐臭がよみがえります。
 詩を書き終え、変わりました。あんな生活、よく続けられたなあ、と思えたのです。軽自動車で眠る夜、運転席の母は背もたれを倒せません。それなのに疲れた顔を見せず、いつも笑顔だった母を「すごいな」と思い出すようになりました。
 
 春。竣哉君は、女川第一中学校へ入学しました。
 地震で損壊した体育館は使えず、入学式は図書室で行われました。
 書棚を紅白の幕で覆い、ふだんは室内にあるアップライトのピアノを廊下へ出します。
 新入生六十数人とその保護者を迎え入れて図書室はいっぱいに。在校生は入れません。
 普段着姿の新入生が目立ちました。竣哉君も。よそ行きの服も流されました。
 数少ない制服姿の1年生は居たたまれない表情で天井を仰いでいます。
 式次第は校歌斉唱へ。
 廊下からピアノの音が。
 新入生にはおぼつかない旋律です。
 すると、大音量の歌声が廊下から響いてきました。
 廊下のピアノに向かうのは音楽の恵先生。
 町の出身です。その春、母校へ転勤してきました。
 恵先生の背後、長い廊下に100人余りの在校生たちが並び、図書室に向かって声を張り上げています。先輩たちは新入生たちに気づかれないように集まっていたのです。
 新入生には驚きと感激の歌声でした。
 式の前に、先輩たちには教務主任の敏郎先生が言い含めていました。
 「みんな被災しているから、元気よく歌うべな」
 
 竣哉君は、入学後の国語の授業で俳句をいくつか書きました。
 
  もう一度 みたい景色は 夏祭り
 
 女川港で開かれた夏祭り。太鼓や笛の音に合わせて踊った竣哉君。母方の祖母は自転車で見に来てくれました。「ばあちゃん」と呼んでいました。
 あの時。眼下に、流されていく祖母の家を見ました。祖母を捜し出した伯父は、母にも竣哉君にも、最後まで祖母と会わせませんでした。
 
  このうらみ はらさずおくぞ いつまでも
 
 なんで俺は津波を止められなかったんだ。なんでみんなを救えなかったんだ。つのる無念を言葉にしました。止められる訳ないとわかっていても、そう思わずにはいられません。
 
 新学期が始まった時、中学校は保護者へこう呼びかけました。
 「学校も全国からの支援物資で運営されている状況です。給食も簡易給食で栄養に関しては十分ではありません。朝食をできる限りお腹いっぱい食べさせて登校させて下さい」
 給食施設が復旧し、副菜つきの給食が再開するまで、2カ月余りかかりました。
 
 5月。がれきの撤去は道半ば。学校は保護者へこう呼びかけます。
 「登下校時、マスクの着用を指導しています。におい、粉塵が、学校まで及ぶ恐れが大です。皆様からも一声おかけ願います。そのことがお子様の肺を守ることにつながります」
 
 この時期、ハエの大量発生に悩まされました。
 職員室でハエ対策が話題にのぼらない日はありません。
 
 6月。中学校総合体育大会(中総体)を迎えます。学校は「予備日は弁当の日」とプリントを配りました。当日、保護者から電話が相次ぎました。
 「すみません、お昼に弁当を届けます」
 仮設住宅建設が間に合わず、避難所生活が続いています。保護者は、昼に避難所で配られる自分の弁当を、子どもへ届けに来ました。「避難所で弁当は作れねえべ、学校はなに言っているんだ」と苦言を呈する人はいません。教職員はそこまで気が回らないほど手一杯であることを、保護者たちも汲んでいました。
 
 7月。学校は保護者へ三つの提案をします。
 一つ、とにかく学校に来る。
 「学校に来れば『部活』『勉強』『プール』『駅伝』『読書』がもれなくついてきます」
 二つ、日帰りでもよいので、女川の風景を忘れる経験をする。
 「きれいな沼や湖、滝、森林浴に出かけてみてはいかがですか」
 三つ、家族の絆を深める。
 「毎日なんでもしゃべりましょう」
 
 8月の終わり。運動会が開かれます。
 町の離島、出島の女川第二中学校が女川第一中の空き教室で再開しており、運動会は初の2校合同開催です。さて、校歌斉唱をどうしよう。教職員たちは考え込みました。
 一中生は200人余り。ですが、二中生は13人。
 運動会直前、二中生が招待を受けて県外へ泊まりがけの旅行に出かけました。
 その留守中、一中生たちは二中の校歌を練習しました。
 当日、何も知らない二中生13人が校歌を歌い始めると、200人余りの一中生が声を合わせました。思いがけない大合唱に運動会は盛り上がりました。その後、両校が統合して女川中になるまで2年間、二中の校歌はつねに大合唱で歌われたのでした。
 
 12月、学校が保護者へ配ったプリントには、こう記してありました。
 「立ち止まることも一つの勇気と考えるようになりました」
 子どもの力になっているか自問し、知恵を出し合いましょう、と呼びかけます。
 
 翌12年1月、智博君が一中へ転校してきました。バレー部に入ります。竣哉君がいます。3カ月後に入学した柚希君もバレー部に入りました。
 顧問の敏郎先生によると、筋骨隆々でもなく背も高くない智博君にサーブの番が来ると、対戦相手は気を抜きます。が、油断大敵。何も考えずに打つのが奏功し、強烈なサーブを放ちます。反対に竣哉君は、考えすぎて空振りしてしまうとか。
 コートでは対照的な2人でした。
 
 ​翌13年2月、私は、復旧した一中の体育館でこんな光景に出合いました。
画像

 中央でモップを元気よく滑らせていく智博君。
 後ろから笑い声を上げて追いかける柚希君。
 
 16年4月。あれから6度目の春を迎えます。
 2度目の春に立ちすくんだ子もいます。
 3度目の春に沈みこんだ子もいました。
 竣哉君には、6度目の春が重くのしかかりました。
 今も、なぜそこまで落ち込んだのか、竣哉君自身、説明できないのですが、高校の仲間との関係につまずき、すっかり自信を失って、仮設住宅に引きこもりました。
 すると、智博君は、誰に頼まれることもなく、下校途中、竣哉君を訪ねるようになりました。帰りの電車で柚希君を見つければ、「行くぞ」と一言。竣哉君の元へ連れて行きます。
 ​春を一緒に過ごしました。

Comments are closed.

    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

    Archives

    3月 2019
    12月 2018
    8月 2018
    7月 2018
    1月 2018
    11月 2017
    10月 2017
    9月 2017
    8月 2017
    7月 2017
    6月 2017
    5月 2017
    4月 2017
    3月 2017
    1月 2017
    12月 2016
    4月 2016
    3月 2016
    2月 2016
    1月 2016
    12月 2015
    10月 2015
    9月 2015
    8月 2015
    9月 2014
    8月 2014
    7月 2014
    5月 2014
    4月 2014
    3月 2014
    1月 2014
    12月 2013
    11月 2013
    10月 2013
    9月 2013
    8月 2013
    7月 2013
    6月 2013
    5月 2013
    4月 2013
    3月 2013
    2月 2013
    1月 2013
    12月 2012
    11月 2012
    10月 2012

    Categories

    All
    花屋さん一家と
    漁師さん親子と
    健太さんの家族
    女川だより 目次
    床屋さん夫婦と
    美智子さん姉妹
    祐子さんの家族

    RSS Feed

Copyright © 羽鳥書店. All Rights Reserved.