床屋さんでは、おっ父が男性客、おっ母が少年客と私の担当です。 ほかにお客さんがいない時、「お茶っこ飲んでって」とおっ母は勧めてくれます。入り口そばの丸椅子に腰掛け、コーヒーをはさんで、床屋談義に花が咲きます。 「お茶っこ」。東北育ちではない私も、このごろ、この言葉が口をついて出るようになりました。お菓子を持参して「お茶っこの時にどうぞ」。もう一つ使うようになったのは「学校さ行くので」。取材を控えている時はそう申し上げ、お茶っこを辞退します。 店舗は、夫妻の仮設住宅から徒歩15分ほど先。コンテナを利用した小さな仮設商店街の一画にあります。店内の客席は当初、美容院専用の椅子でした。今は、寄贈された床屋専用の中古の椅子を活用しています。 昨年秋、お店の奥から、また、お店の入り口から撮らせていただいたおっ父とおっ母の写真をご紹介しましょう。 2011年11月、私はおっ母と再会しました。女川町で最後の仮設住宅144戸が完成した日です。床屋さん夫妻も約8カ月におよんだ体育館での避難生活を終え、仮設住宅へ移りました。その引っ越しの最中、またお会いできたのです。 引っ越し先は、体育館裏の野球場に建てられた3階建ての仮設住宅です。 震災後、町の人々のために仮設住宅1294戸が建てられました。町内は敷地が限られるため、290戸は隣接の石巻市に建てられました。が、それでも間に合わず、町は海上輸送用コンテナを利用し、45戸は2階建て、144戸は3階建てで造りました。 |
Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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