羽鳥書店 Web連載&記事
  • HOME
    • ハトリショテンだより >
      • 近刊新刊 案内
      • 図書目録
    • 人文学の遠めがね
    • 憲法学の虫眼鏡
    • 女川だより
    • 石巻だより
    • バンクーバー日記
  • 李公麟「五馬図」
  • ABOUT
  • OFFICIAL SITE
  • HOME
    • ハトリショテンだより >
      • 近刊新刊 案内
      • 図書目録
    • 人文学の遠めがね
    • 憲法学の虫眼鏡
    • 女川だより
    • 石巻だより
    • バンクーバー日記
  • 李公麟「五馬図」
  • ABOUT
  • OFFICIAL SITE
画像
​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第32便 花屋さん一家と<8> マイホーム

5/31/2014

 

 写真は、女川浜です。上は2012年1月に、下は14年3月に撮影しました。そこは町の中心街でした。12年1月は、町役場と生涯教育センターを撤去する前でした。中央奥、高台に見えるのは中学校です。
画像
画像

​ 一帯では、土を盛る工事を急いでいます。
 宅地には、今回のような千年に一度の巨大津波が来ても届かないよう、10~15メートルほどの高さの土を盛ります。商業地には、100年に1度の津波には耐えられるように5~10メートルの高さの土を盛ります。
 大型のショベルカーやダンプカーを使っています。あまりに大型な重機なので、道路を走らせることはできず、分解して運び込み、工事現場で組み立てました。町は、13年夏から一帯を立ち入り禁止にして、突貫工事を進めています。
 11年9月の着任時、変わり果てた浜に立ち、胸が詰まりました。いままた、工事が進むにつれ、変わりゆく浜の光景に、胸が締め付けられます。
 きなこ棒を抱えて歩いた道が、ぴいちゃんが綿あめを買ってくれた浜辺が、遠のいていくような寂しさを覚えてしまうのです。
 
 14年3月末、中学校が立つ高台のそばに、町第1号の災害公営住宅が完成しました。
 美智子さんは、入居を申し込もうと意気込んでいたのですが、いざ募集が始まると、気持ちがなえて、やめました。震災前に暮らしていた場所に「帰りたい」と思ったからです。
 夢見るマイホームは、前に暮らしていた家なのです。
 写真の左奥にありました。
 「あそこから始まったので。かさ上げ工事の後でも、あそこに戻れたら、最高。風景がちがう。気持ちがちがうんです。全部ちがうんです」
 そう美智子さんは語ってくれました。
 2階建ての町営アパートでした。結婚生活を始めた場所です。10年ほど暮らしました。 玄関わきには、潜水士の夫が、海中で働く写真を飾っていました。千秋さんからの贈り物でした。カギを入れる木製のケースも置いてありました。千秋さん手作りのケースです。「WELCOME」の手書き文字もありました。玄関のその一角は、美智子さんのお気に入りのコーナーでした。
 
 千秋さんは、いま、悩んでいます。
 お店をどこに再建するか。
 女川浜には、15年3月、JR女川駅が完成する予定です。駅から写真右奥の女川港へ向かって、長さ400メートルにわたり、町は歩行者専用道路をつくる考えです。震災前にはなかった新しい道路です。その幅は15メートル。
東京のコンサルタントや設計士のアイデアをもらい、まんなかの6メートル幅には、実がなる木や花が咲く木など、様々な種類の樹木を植え、公園のような空間をつくろうと構想しています。町は、その道路の一部、駅から長さ170メートルの両側に店舗を並べた駅前商店街を計画しています。
 そこにお店を再建するべきかどうか。
 ただ、そこは、住居が建てられない一画です。震災前は、自宅兼店舗でした。同じようにしたいと願うのですが、その願いをかなえられる場所があるのか。そして、駅前でも、どこでも、にぎやかなひとの往来が戻ってくるのか。
町第1号の災害公営住宅が完成するころから、町のひとたちと自宅再建についても話しやすくなりました。すると――。「公営に入るの?」「ううん、引っ越す」「女川で?」「女川じゃない」。町を出ていくひとが多いことを実感します。
 
 震災前、町の人口は約1万人でした。あの日、町は827人をなくしました。それから3年のうちに、約2千人が町を出ていきました。町の正念場は、これからです。

第31便 花屋さん一家と<7> ぴいちゃん

5/15/2014

 
ここ女川町へ来て、初めて知った言葉に「ぴいちゃん」があります。
 「どなたのことですか」と尋ねると、「おっぴさんのこと」と言われました。
 「ぴいじいちゃん」「ぴいばあちゃん」と呼ぶこともあります。
 曽祖父母のことです。
 ひ孫たちは親しみをこめて「ぴいちゃん」と呼びます。
 敬意をこめて呼ぶときは「おっぴさん」です。
 
 その言葉は、東北の被災地の底力を象徴している。私はそう思います。
 この3年間、町の中学生たちは、「千年後の命を守るために」を合言葉に、津波対策づくりに取り組んできました。震災の記録を残すため、最初の語り部になった生徒は、今も行方がわからない曽祖父母への思いを打ち明けました。同級生は涙ぐんで耳傾けました。子どもたちにとって「ぴいちゃん」は掛け替えのない存在。家族の絆を表す言葉です。
 
 千秋さんの7歳の孫娘は、3歳の思い出を、今も口にします。
 「ホヤのぴいちゃん、お祭りのとき、綿あめを買ってくれた」
 「ホヤのぴいちゃん」は、千秋さんの父のことです。祖父方の曽祖父、「畑のぴいちゃん」と区別して呼んでいました。
 ホヤのぴいちゃんは、船乗りでした。震災時、船を沖へ出すために出港したきり、帰ってきませんでした。綿あめを買ってくれたのは、夏、女川港そばで開かれた「女川みなと祭り」のときでした。震災以降、祭りは休止しています。

さらに詳しく

    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

    Archives

    3月 2019
    12月 2018
    8月 2018
    7月 2018
    1月 2018
    11月 2017
    10月 2017
    9月 2017
    8月 2017
    7月 2017
    6月 2017
    5月 2017
    4月 2017
    3月 2017
    1月 2017
    12月 2016
    4月 2016
    3月 2016
    2月 2016
    1月 2016
    12月 2015
    10月 2015
    9月 2015
    8月 2015
    9月 2014
    8月 2014
    7月 2014
    5月 2014
    4月 2014
    3月 2014
    1月 2014
    12月 2013
    11月 2013
    10月 2013
    9月 2013
    8月 2013
    7月 2013
    6月 2013
    5月 2013
    4月 2013
    3月 2013
    2月 2013
    1月 2013
    12月 2012
    11月 2012
    10月 2012

    Categories

    すべて
    花屋さん一家と
    漁師さん親子と
    健太さんの家族
    女川だより 目次
    床屋さん夫婦と
    美智子さん姉妹
    祐子さんの家族

    RSSフィード

Copyright © 羽鳥書店. All Rights Reserved.