牡鹿半島で取材を始めて1年が過ぎました。 ふだんの移動は車です。1年間の走行距離は3万キロ近くになりました。かつて新潟県の佐渡島に駐在した頃、1年間の走行距離は1万キロほどでした。佐渡の3倍も走っているのに、ここには今もまだ取材していない漁港があり、焦ります。 ほぼ毎日のように足を運ぶのは、女川港です。港そばの高台に町役場、小中学校、仮設住宅の団地がありますから。私が通い始めた昨年秋、港のわきで魚市場も再開していました。付近に倒壊した建物しか残っていない港の一画で、人々を呼び戻す魚市場。町の底力を感じます。 その市場でヒョウタンのような姿の魚に出合いました。何という魚ですか、と尋ねると、仲買人の魚屋さんも「初めて見るね」。なんと、そんなことがあるのですね。結局、「食べ方がわからないからだめだ」と海へ返すことになりました。その前に撮らせていただいた写真がこちらです。親切にしてくださった魚屋さんも、後継ぎの長男夫婦を津波でなくしました。長男は今も行方不明です。 みなさま、こんにちは。宮城県の牡鹿半島からお便りしています。ここ牡鹿半島も10月、長い長い酷暑からようやく解放されました。やわらかい秋の日差しにほっと息をついていましたら、健太さんのお父さんから、こんなお便りをいただきました。 「日暮れが早くなり、涼しくなってくると、いやな気持ちになりますね」 思い出すのです。春まだ浅く日暮れも早かった2011年3月11日を。 長男の健太さんは25歳でした。東京の大学を卒業後、生まれ育った宮城県に戻り、全国屈指の地方銀行、七十七銀行に就職しました。 最初は仙台市の支店で働き、2010年春、女川町の女川支店へ転勤しました。あの日も、女川港そばの支店にいました。12人の行員と共に2階建ての支店の屋上へ避難しましたが、津波が到達します。次の週末には恋人を両親に紹介する予定でした。 牡鹿半島で取材を始めて1年が過ぎ、2度目の秋を迎えました。自戒を繰り返す毎日です。忘れている時があるのです。めぐる季節に、心浮き立つ人もいれば、心が沈む人もいることを。 第1便~4便 健太さんの家族
<1> 2度目の秋 <2> 思い出の魚 <3> ピンクの机 <4> 高校球児へ 第5便~8便 花屋さん一家と <1> 花届ける日 <2> ゼラニウム <3> 父の双眼鏡 <4> 海風と涙と 第9便~12便 美智子さん姉妹 <1> 返信を待つ <2> 元日に思う <3> 夕方に祈る <4> おねえさん 第13便~16便 床屋さん夫婦と <1> 踊るサンバ <2> 引っ越し日 <3> お茶っこ <4> 土地の売却 第17便~20便 祐子さんの家族 <1> 千手観音 <2> 指定席 <3> 桃の節句 <4> 青いバス 第21便~24便 漁師さん親子と <1> 草取り <2> 大王様 <3> 文学碑 <4> 春の魚 第25便~28便 健太さんの家族 <5> 日本一 <6> 兄と妹 <7> 同級生 <8> 応援歌 第29便~32便 花屋さん一家と <5> ラブカの歯 <6> ベビーカー <7> ぴいちゃん <8> マイホーム 第33便~36便 美智子さん姉妹 <5> 霧の中 <6> ライト <7> 浜の碑 <8> シウリ 第37便~40便 床屋さん夫婦と <5> 土地の記憶 <6> 路地の潮風 <7> いつも隣に <8> がんばれた 第41便~第44便 祐子さんの家族 <5> 母と娘 <6> 保健室 <7> 親類以上 <8> バディ 第45便~ 漁師さん親子と <5> ムは紫式部 第1話 教科書 第2話 三つの対策 |
Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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