日本国憲法は議院内閣制を採用しているが、議院内閣制の下では必ず、行政権に自由な議会解散権があるわけではない。ドイツ基本法に典型的に見られるように、20世紀後半に進展した「議院内閣制の合理化」の一環として、憲法典によって解散権の行使を厳しく制約する国も多い。ドイツ基本法68条によれば、連邦宰相の在任中に連邦議会が解散されるのは、連邦宰相を信任する動議が連邦議会議員の過半数の同意を得られないときに限られ、しかも連邦議会議員の過半数で新たな連邦宰相が選挙されたときは、この解散権は消滅する。戦後のドイツでは、連邦議会の解散は3度しか行われていない。 また、議院内閣制の母国であり、その典型例とされるイギリスでは、2011年9月15日成立した立法期固定法(The Fixed-term Parliaments Act 2011)により、次の選挙の期日を2015年5月7日と定めるとともに、その後の総選挙は、直近の総選挙から5年目の5月の最初の木曜日に施行することとした(同法1条)。ただし、庶民院が総議員の3分の2以上の多数で総選挙が行われるべきことを議決したとき、および、庶民院が政府不信任案を可決し、その後14日以内に新たな政府に対する信任案が可決されなかったときも総選挙が施行される(2条)。 もともと議会の解散が稀なフランスでは、政府与党が自らにとって最も有利な時期に総選挙を施行する、党利に基づく解散権の行使は、「イギリス流の解散 dissolution anglaise」と否定的に語られる。シラク大統領が1997年に行った解散がフランスではじめての「イギリス流の解散」とされるが、シラク大統領の与党はご都合主義だとの批判の逆風にあおられて総選挙で敗北し、ジョスパン氏の率いる社会党との保革共存を余儀なくされた。 さらに、ノルウェーのように、議院内閣制の国であると目されながら、そもそも議会の解散制度が存在しない国さえある。 議院内閣制である以上は、内閣あるいは首相が自由に議会を解散できるという主張は、ますます説得力を失いつつある。そうした主張が堂々と臆面もなくなされ、疑われることもない日本は、主要先進国の中ではむしろ例外的な存在である。 議会の解散権を限定すると、重要な政治問題について有権者の意思を国政に反映する機会が失われるのではないかとの疑問があり得よう。しかし、争点を絞って諮問的レファレンダムを施行することも可能である。また、政治状況に照らして議会の解散が必要と判断されれば、その前提となる議会の議決を引き出すこともできないわけではない。
解散権の行使がきわめて限定されているドイツでは、ヘルムート・コール内閣の下で1982年12月、与党が欠席戦術を取ることで内閣への信任決議案を連邦議会が否決し、解散・総選挙が施行された。この解散の合憲性を審査した憲法裁判所は、連邦議会に存在する政治勢力が引き続き政権を担当することが保障されない状況においては、解散を意図して政府が信任決議案を提出することも認められるとしている。 また、2005年6月、政権運営に行き詰まったシュレーダー首相は、やはり連邦議会の解散を意図して信任決議案を提出し、与党議員の多くが棄権したために同決議案は否決され、解散・総選挙が行われている。この解散の合憲性を審査した憲法裁判所は、議会における危機を脱するために、解散を意図して政府が信任決議案を提出することも認められるとしている。 イギリスのテリーザ・メイ首相は、本年(2017年)4月に下院を解散したが、これは2016年6月の国民投票でEU離脱の結論が出たことを背景に、ハード・ブレグジットを標榜する首相が国民に真を問おうとしたもので、野党の労働党もこれを受けて立ち、3分の2の特別多数の議決によって総選挙が施行されたものである。立法期固定法によって原則解散を認めない制度の下でも、重大な国政上の論点について民意を問う必要があるときは、総選挙を施行し得ることを示している(結果として、メイ氏の率いる保守党は議席を減らして過半数割れした)。 日本政府の有権解釈によると、衆議院の解散権は、天皇の国事行為について定める憲法7条を根拠として国事行為の助言と承認を行う内閣に帰属する(1985年12月27日参議院提出の政府答弁書、1986年3月28日茂串内閣法制局長官答弁等)。学説上も有力に支持されているいわゆる7条説であるが(たとえば、芦部信喜『憲法』第6版(岩波書店、2015)50頁)、この議論の妥当性には疑義があると言わざるを得ない。 7条説は、衆議院の解散権は本来的に天皇に帰属しているが、そのうち実質的な権限は内閣の助言と承認という手続を通じて内閣に移行し、天皇は残る名目的・形式的な権限のみを保有するという考え方である。 しかしながら、本来的に天皇がすべての統治権を掌握し、その行使についてのみ、天皇自らが定めた憲法の条規に従う(天皇主権原理)とされていた大日本帝国憲法の下であればいざ知らず、統治権は本来的に国民に帰属しており、国家機関は、憲法によって与えられた権限のみを行使し得るとの考え方をとる日本国憲法の下では、天皇に衆議院の解散権が本来的に帰属するという出発点がそもそも成り立たない(この点については、拙著『憲法の論理』(有斐閣、2017)第14章参照)。憲法4条1項は、天皇が「国政に関する権能を有しない」旨を明示している。つまり、7条説は、天皇主権原理に立脚する大日本帝国憲法下でのみ成り立ち得る議論を、国民主権原理に立脚する現憲法に移植しようとするもので、議論の出発点に無理があると言わざるを得ない。 しかも7条説は、内閣の解散決定権の根拠は7条にあるというだけで、内閣に自由な解散権──つまり、憲法69条所定の内閣信任決議案の否決、または内閣不信任決議案の可決の場合に限らず、内閣がいつでも衆議院の解散を決定できるという結論を直接に導くものではない。そうした結論を基礎付けようとすれば、結局は、重要な政治問題について有権者の意思を改めて問う必要があるときに、随時、解散できるようにした方が民主政治の理念に照らして望ましい、という前述の論拠に頼らざるを得ない。ところが、近年の実例を見ても分かる通り、政府・与党にとって最も有利な時期を選んで総選挙を実施することのみが本当の、しかもあからさまな動機で、有権者の意思を問うべきだとされる争点は、全くのところ取って付けたようなうわべのお飾り、という体たらくでは、この論拠の薄弱さがかえって浮き彫りになっていると言わざるを得ない。かりに内閣を信任しない旨の衆議院の意思が明確となった場合に限って解散を決定できることとしても、重要な争点について有権者の意思を反映する途が閉ざされるわけではないことは、これもまた前述の通りである。 なお巷では、衆議院の解散は「首相の専権」であるという俗説が聞かれることがあるが、政府の有権解釈は、さきに見たように解散権は内閣に帰属するとしており、首相の専権という議論は誤りである。学説の中にも、首相に決定権があるというものは見られない。閣僚の中に解散に反対する者がいれば、その閣僚を罷免して閣議決定をする必要があることは、2005年に小泉内閣の行った郵政解散の先例──解散に反対する島村農水相を罷免して閣議決定がされた──からも明らかである。決定権はあくまで内閣にある。「首相の専権」という言い方は、誤っているだけではなく、首相の恣意的な解散権行使にも「仕方のないこと」として黙従する傾向を助長する。マイナスの効果が大きい。 内閣による解散権の行使を限定する、とくに政府・与党にとって有利な時機に総選挙を施行するという党派的利益に即した解散を禁止するには、どうすればよいか。上策は憲法を改正してその旨の条文を加えることであるが、現憲法の要請する硬い手続を経てそうした改正が成立するまでは、かなりの時間と労力を要することが予想される。下策は、解散権の行使を制約する憲法慣行の成立を期待することであるが、これでは百年河清を待つことになりかねない。中策は、内閣による解散権の行使を制約する法律を国会が制定することである。憲法上、政府や首相に与えられた権限を法律で制約している例は、内閣法等にしばしば見られる。 下級審の裁判例ではあるが、昭和62年3月25日の名古屋高裁判決(判時1234号38頁)は、衆参同日選挙を禁止するか否かは立法政策の問題であるとし、同日選挙を禁止すべく、解散権を制約する立法を行うことも、立法府において自由になし得るとしている。イギリスと同様に、総選挙の期日を公職選挙法で固定することも可能だということである。 とはいえ、法律で解散権の行使を限定しただけでは心許ない、やはり憲法を改正して解散権の行使を拘束すべきだという議論も、当然あり得るであろう。現憲法は、決して一字一句動かすべきではないというものではない。変える必要があるのであれば、当然、改正を論議すべきである。変えても何の訳にも立たない、かえって日本の将来のためにならないという改憲論議をすべきでない、という話とは、全く別の問題である。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author長谷部恭男
(はせべやすお) 憲法学者。1956年、広島に生まれる。1979年、東京大学法学部卒業。東京大学教授をへて、2014年より早稲田大学法学学術院教授。 *主要著書 『権力への懐疑──憲法学のメタ理論』日本評論社、1991年 『テレビの憲法理論──多メディア・多チャンネル時代の放送法制』弘文堂、1992年 『憲法学のフロンティア』岩波書店、1999年 『比較不能な価値の迷路──リベラル・デモクラシーの憲法理論』東京大学出版会、2000年 『憲法と平和を問いなおす』ちくま新書、2004年 『憲法とは何か』岩波新書、2006年 『Interactive 憲法』有斐閣、2006年 『憲法の理性』東京大学出版会、2006年 『憲法 第4版』新世社、2008年 『続・Interactive憲法』有斐閣、2011年 『法とは何か――法思想史入門』河出書房新社、2011年/増補新版・2015年 『憲法の円環』岩波書店、2013年 共著編著多数 羽鳥書店 『憲法の境界』2009年 『憲法入門』2010年 『憲法のimagination』2010年 Archives
3月 2019
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