寒くなってきて釣りも一段落。 サーモンフィッシングを通して、いろいろな経験ができました。 そこで見たこと、感じたこと。 サーモンたちは数年かけて海を回り、産卵の為に生まれ故郷の川に帰ってくる。 彼らは一度川にはいると餌を食べるのをやめ、ただひたすらに上流を目指す。 釣り人の針にかかるのは餌を食べたのではなく、自分のテリトリーを守るために 邪魔なものには噛みつくという、彼らの本能を利用しているためだ。 朝6時、暗いうちから河原に向かう。 川岸に近づくにつれて漂ってくる独特の臭いと、カモメやサギの騒々しい鳴き声で、 否が応でも生き物の気配が濃厚になってくる。 思えば寒く広大すぎる自然のせいか、日本に比べて生き物が少なく感じるカナダにあって、 川だけは別格な気がする。 腰近くまで川に浸かり、仕掛けを流す。 エサは彼等の卵、イクラだ。 とにかくすごい数の群れだ。 まわりを見渡すと一心不乱に泳いでいる魚に混じって、途中で飛び跳ねるもの、 メスを追いかけ回すもの、仲良く寄り添って泳いでいるもの、そして産卵のために 川底の石を尻尾で払い除けているものもいる。 足元に目を転ずると、これからの産卵に備えてか、僕の足の陰で休んでるものまでいる。 そして時々足にぶつかるヌルんとした感触。 力尽きた死骸だ。結構な水圧の中で踏ん張ってるところに、80センチ近くある体でぶつかられると 危うくよろめきそうになる。よく見るとかなりの数が流れてくる。 おそらく役目を終えたか、途中で釣り人の針にかかり、疲れで息絶えたのだろうか。 もがきながら流されてくるものも多数いる。 背後の浅瀬のバシャバシャという音に振り返ると、弱って水流に乗れなくなった傷だらけの個体が どうすることもできずに喘いでいる。 背ビレが水面から出るほど浅い場所だ。少し体力を回復させてまた水流に戻って行くものもいるが、 大多数のものはそのまま波打ち際まで流されて体が横に倒れてしまう。 そこにフワッと降りてくるカモメ。何の造作もなく目玉だけを食べ抜き、飛び去って行く。 まるで終点までの切符を取り上げるかのように落伍者から光を奪うその行為は、余りにも静かで無駄がなく、 死神という形容がぴったりと当てはまる。 でも魚の立場で考えてみると、無念途中で力尽き、横倒しになってただ空を見ながら息絶えるくらいなら、 視界があるというのは苦痛を倍増させる以外の何者でもないのかもしれない。 そう考えるとカモメの行動も彼らに対する情けのようにも思えてくる。 異様な光景だが、そこら中で死骸に混じってそうした目玉のないサーモンがなおもがき続けている。 死骸の半分は鳥や小動物に食べられ、半分はそのまま土に還るのか、白いカビのようなもので覆われている。 日本であれば蠅が湧いて物凄いことになりそうだが、ここでは見たことがない。 河原に漂う死臭は、気温の上昇とともに強くなる。 ふと考える。 昔の合戦場というのはこんな感じだったんだろうか。 侍が魚や鳥に変わっただけ。 おびただしい生と死が共存する場所。 そして思う 命の価値とはなんだろう 津波に消えていった人の命 釣りを楽しむ僕の背後で消えていく魚の命 宇宙から見たらどちらも同じことなのだろうか。 そんなことを考えつつもウキが沈むと体は反射的に動き、魚を手元に引き寄せると 針を外してそのまま逃がすという行為を繰り返す。 目の前の魚体の美しさに感動しながら。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author池田 学(いけだ まなぶ) Archives
8月 2013
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