被災地へ行ってきました。 今を生きる日本人として、そして一人の表現者として、実際にその地に立ってみることが 不可避であると考えたからです。 日本に帰ったら行くと決めてはいたものの、いまだ見たことのない災害現場に対しての 恐怖感や被災者の方の心情などが頭をよぎり、なかなか決心がつかずにいました。 快晴の東京を出発した新幹線は福島を過ぎ、やがて雪降りしきる一ノ関へ。 途中車窓から見た福島、仙台の街並み。道を走る車や校庭で遊ぶ子供達。 立ち寄った食堂。出された料理。一ノ関の雪。雲。そして寒さ。 テレビやネットで繰り返し見聞きしていた「東北」という単語 実際に訪れて見えた「東北」という空間 目にしたディテールのすべてが今の東北の声のようで、そこには文字の世界でものを 見ているだけでは決して垣間見ることのできない現実の塊が散らばっていました。 やがてローカル線で約1時間、気仙沼駅に。 そこでタクシーに乗り込み、そこから陸前高田市に向かいました。 気仙沼市内の道路沿いにはあちこちで壊れたり傾いたりした建物が。 僕の心の準備などお構いなしに衝撃的な光景が目に飛び込んできます。 グニャリと曲がった旅館、焦げ付いた鉄骨、道脇に転がる巨大な漁船、 うず高く積まれたグシャグシャの車…… 気仙沼の海は湾のようになっていて僕が想像していたよりもずっと小さく、 これが街を襲ったのだとはどうしても考え難く。 運転手さんに当時の話を聞きながら車は山あいの集落を過ぎていきます。 ここで思ったのは少しでも高台になると被害は全く無く日常そのものの風景が広がっていて、 いっぽう坂を降りると、津波であらかた流されて何もない雪原が広がっているという事。 ただ高さが違うというそれだけの理由で0か100かが決まるという津波の恐ろしさ。 そして下り坂のカーブを曲がり陸前高田へ。 運転手さんの「全部やられて何もないでしょ」という言葉さえなければ そこに街があったとはとても思えない。 一見すると一面の雪原と遠くの集落。 しかしほぼ同時に、異様な数の重機とポツンと見える壊れた建物、 そして城の土台のような大きさの瓦礫の山々が作り出す光景に、 雪の下に隠れているのが田んぼではないということは容易に想像がつく。 一本だけ生き残ったといわれる松の周りは中州のようになっていて、傾いた建物があるだけ。 後ろは青く穏やかな海。 見晴らしがよく何も知らなければ風光明媚な場所に見えなくもない。 雪に覆われた地面から時々除く布団や車の残骸にギョッとし、 そこで改めてここがつい数ヶ月前に大津波で千人以上の方が亡くなった場所なのだと思い直す。 建物と生活の面影をわずかに残し、今は雪原となってしまった市内を見つめながら、 全てのものは消えてなくなりうるのだという事を肌で知りました。 僕らにできる事はただ日々を受け入れて生きていくしかないのだということも感じました。 そして僕はやり場のないこの気持ちを絵で表現するしかない 表現したい そう強く感じました。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author池田 学(いけだ まなぶ) Archives
8月 2013
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