今年3月6日。震災後初めて漁師さんは船を出しました。カキ養殖の船より大きい7.6トンの船です。午前2時過ぎに女川港を出発。午後4時前に戻りました。 水揚げするのはメロウド。漁師さんの顔に笑みがこぼれます。メロウドは細長い魚です。その稚魚はコウナゴです。 メロウド漁は、漁師さんが小学生の頃、父親が手がけていました。その後、父親はカキ養殖に専念し、そこに漁師さんも加わりました。17年前、「やっかぁ」と父親が言い出し、漁師さんも「やっぺぇ」と応じ、漁を再開しました。2人とも、メロウド漁が好きでした。港から80キロほど沖へ。メロウドの群れを探す手がかりは、水際に集まるカモメと、海面を跳びはねるオットセイの動き。彼らもメロウドを探しています。 見つけたら、舳先から、電信柱のような、長さ13メートルの棒2本を一気に海中へ。重さ数百キロの棒の名称は「アゾ」。2本の間に取り付けられた網を広げ、魚群をすくいとります。アゾは機械で動かしますが、その機械はひとの手で操作します。カモメやオットセイに先駆け、網にオットセイをひっかけず。このタイミングを体得するのに「10年かかる」と漁師さん。いまでも「毎日が勉強だっちゃ。生き物とるんだもの」。 漁期は3月から5月。「春を告げる魚」とも呼ばれています。カキのシーズンが終わる頃なので、養殖と両立できます。メロウド漁の話になると、声が弾みます。 「網を起こしている時も楽しい。船にいっぱい積んでいく時も楽しい。とるというのは面白い」 にぃには、小学生の時に二度、漁に連れて行ってもらいました。オットセイを見たいと思ったのです。メロウドの群れがいると、水の色が変わり、海は赤黒くなる、とも聞きました。ところが、一度目は、しけの日。漁の最中、ずっと横になっていました。「次はしけない時に行きたい」と頼みました。二度目は、近い漁場へ。カモメの群れをおっ父に教えました。「よく見つけたな」。おっ父が褒めてくれました。 にぃには、えらいな。私はすぐに船酔いするので、漁の取材は敬遠しているのです。そう申し上げると、漁師さんは「誰でも酔う。おれも酔う。あれは慣れだよ」。震災前は海の状況がよければ、毎日のように出漁しました。家事も育児もこなさなければならない今年は、週2、3回しか漁に出られません。春は、学校も保育園も、運動会や授業参観の行事が続きます。体は慣れず、船酔いがつづきました。仮住まいの狭い部屋では体も休まらず、腰痛にも苦しみました。 母親と妻に代わり、家事を引き受けるものの、四苦八苦の毎日です。3人の子の遠足が相次ぎ、3人目のお弁当を作り忘れ、コンビニへ走ったこともありました。小学生の子の合宿に「何を用意したらよいのか」と途方に暮れたこともあります。「漁師って言っても魚さばかれねぇ。男なんて、そんなもん」と漁師さん。炊飯器も洗濯機も、初めて使います。電子レンジはまだ使いこなせません。仮設の集会所の「男の料理教室」でレバニラ炒めを習い、それが食卓の定番になりました。子どもたちに言います。 「おれたちは、生きるか死ぬか、しかねぇんだ。おいしいか、おいしくないかのレベルではない」 「おめえら、うちは不良をする暇はねぇぞ」 漁師さん自身、3人の子がいないところで「うつになっている暇はねぇんだ」と涙をぬぐい、自分を奮い立たせています。 子どもたちもわかっています。にぃにも、ねぇねも、あれを食べたい、これを買って、とせがんだことはありません。にぃには、おっ父の前では泣きません。ねぇねが、おっ父の胸で泣いたのは一度きり。友だちの家で遊んで帰ってきた時のことでした。友だちの母の姿に、おっ母の不在が耐えられなかったのです。その後はもう涙を見せません。 今年春。漁師さんが出かけた後の仮設住宅で、にぃにに尋ねました。メロウドのどんな料理が好きですか。 「刺し身とか。みそ汁もおいしい」 みそ汁は、ばっぱがよく作ってくれました。 家事が苦手な漁師さん。ですが、仮設住宅では早朝から洗濯機を回し、朝食を作り、働き通しです。船上にいる時と同じですね。台所はつねに整理整頓が行き届いています。今年夏。きれいな台所にカメラを向けましたら、大王さまが喜び勇んでやってきました。4歳のカメラマンと交代しましょう。台所を背に、11歳の姉が、妹のために、はい、ポーズ。 |
Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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