智博君は2012年1月から女川第一中学校へ通い始めます。 1学年主任は一彦先生でした。社会科の先生です。 12年5月。私は学校へ一彦先生を訪ねました。 その道中。自宅跡地で足元に目を凝らしている女性がいます。女川町へ通い始めて半年余り、ずっと気になっていました。探しつづけるのはどれほど大切な品なのでしょう。先生との約束の時刻まで間があり、青空の下、思い切って声をかけてみました。「花の芽を探しているの」。前年夏、小さなバラの芽を見つけたそうです。大事に育てていたバラでした。仮設住宅へ連れ帰り、以来、季節ごとに探します。菊の芽もありました。ランの芽も――。 学校で早速、先生にお話しします。 先生は聞き流すように2年1組の教室へ。 私も教室後方へ。 授業を見せていただきます。 九州地方の特徴を復習します。 「人口が多い所は」「その理由は」 先生は矢継ぎ早に質問。智博君たち生徒は、地図を手に、一生懸命、ついていきます。 東京へ戻ってから途切れがちのこのブログは、再開のたび、長文になりまして・・・、このたびは、冒頭に第1話とつけました。これから最終回の第48便まで各便7話ずつお届けします。どうか、積もる話を1話ずつ読んでいただけましたら。
この間、最も驚愕した出来事は、11月22日の津波です。当初、宮城県沿岸は注意報でしたから、まさか本当に来ようとは。 22日朝6時前。東京ではゆっくりとした長い横ゆれでした。私はすぐさま10日前の女川町の地震を思い出しました。10日前は震度4でした。あれは前震で、これが本震か。1978年を最後にまだ再来していない「宮城県沖地震」か。枕元の携帯電話をにぎります。 携帯へ届いた情報は、「福島県沖」が震源。「宮城県沖地震」ではない、と安心したのもつかのま、福島県に津波警報、宮城県に注意報発令です。 漁師さんへショートメールを。バクバクする心臓が指先へやってきたよう。深呼吸しながら「宮城県に津波注意報 福島県に津波の警報です」。送信。 電話は控えます。私が鳴らしたために漁師さんが大事な電話を逃しては大変です。カキの水揚げ中ですから、今朝はもう出かけたかも。船の上なら、ゆれに気づかないはず。思いめぐらせていましたら、30分ほどして携帯に着信音。 「地震は今のところ大丈夫です」 漁師さんの長男から返信です。漁師さんは外出前。家族一緒です。ほっとしました。 約2時間後、仙台港へ到達した津波は高さ1・4メートルを観測しました。 私たちは災害列島に暮らしていると思いを強くします。備えが大事と改めて心します。 |
Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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