女川港の周囲には中心街が広がっていました。港を通り抜ける国道沿いには、住宅や商店が軒を連ねるように立ち並んでいました。いまは、津波で横転したビル3棟ともう1棟が残るだけとなりました。 「あの店はこの辺だったかな、と思い出そうにも思い出せなくなってきた。いま自分がどのあたりを歩いているのか分からなくなる時もある」 町役場でそんな話も聞きました。 あの日、健太さんが最後までとどまった七十七銀行女川支店の建物も、今年春に解体撤去されました。 「解体が始まると聞き、もし息子の机を捨てるのなら、私たちにゆずってほしいと頼んだの」 お母さんはそう言って、うれしそうに続けました。 「それでね、いまはうちにあるんです」 え? オフィスの事務机がうちに? 大きな事務机を一体どこに置いているのですか? 「息子からも見える軒下の雨のあたらないところにちょうどおさまったんですよ」 お母さんは「うふふ」と笑い声を上げました。 「おかあさんったら、と、うちの息子もあきれているでしょうね」 さっそく見せていただきました。確かにありました。軒下に。 写真も撮らせていただきました。雨が降り込んできても濡れないよう、ピンク色のビニールクロスをかぶせてあるのですよ。その上には紫色の花々。紫は健太さんが好きだった色です。彼が卒業した高校のスクールカラーなのです。 「息子から見える」という訳は、この机が見える部屋に祭壇があり、 そこに今も健太さんの遺骨が花々に囲まれて置かれているのです。 お母さんは笑顔を崩さずに当時を語ってくれました。健太さんは199日後の昨年9月26日、女川湾で見つかり、両親の元へ帰ってきました。ワイシャツにネクタイ姿。ズボンにししゅうされた名前。彼であることは衣類からわかったそうです。しかし、もはや対面はかなわず、抱くこともできませんでした。 「それだけがね……」 それきり、お母さんは声を出せず、微笑んだ目から涙がぽたぽたと落ちてきました。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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