こちらの写真は、2013年の初日の出です。東松島市の野蒜(のびる)海水浴場から撮りました。 写真左の海の向こうに牡鹿半島が見えます。海水浴場はまだ復旧途上です。近辺には被災した家屋が、廃屋と化したまま、たたずんでいます。この後、私は美智子さんの家族を訪ねました。 銀行員の美智子さんはシングルでした。両親は、牡鹿半島の西側にある大きな入り江、万石浦(まんごくうら)で漁を営んでいました。1997年、お父さんの闘病生活が始まりました。三女の恵子さんが仙台市での仕事を辞め、看護のため、実家に戻りました。長女の美智子さんも、実家に近い支店を希望して戻ってきました。次女の礼子さんは仙台市の会社勤めを続けながら、週末、看病に通いました。お父さんが亡くなった後も、恵子さんと美智子さんは実家に残りました。週末には礼子さんも戻り、お母さんに寄り添っていました。 クリスマス、おおみそか、正月、とつづく年末年始。いるべき人がいない――。ことさらに胸が痛みます。お父さんが亡くなってから、お正月飾りを準備するのは美智子さんの役割でした。昨年、そしてこのお正月も、一家は飾り付けをしませんでした。 年越し料理は3人姉妹で順番を決めて作っていました。12月31日から1月3日まで、朝晩、新しい料理を神棚に供えます。今年は妹2人が交互に台所に立ちました。おもちは、もちつき機で作ります。お雑煮はゴボウ、ニンジン、大根、セリ、高野豆腐、糸こんにゃくなどを入れます。 お雑煮にはハモの出汁、お煮染めにはハゼの出汁を使います。ハモも、ハゼも、自分たちで焼いて干し、支度します。 元日は、礼子さんの誕生日でもあります。毎年祝ってくれる家族。そこにはいつも美智子さんの姿がありました。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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