2011年11月、私はおっ母と再会しました。女川町で最後の仮設住宅144戸が完成した日です。床屋さん夫妻も約8カ月におよんだ体育館での避難生活を終え、仮設住宅へ移りました。その引っ越しの最中、またお会いできたのです。 引っ越し先は、体育館裏の野球場に建てられた3階建ての仮設住宅です。 震災後、町の人々のために仮設住宅1294戸が建てられました。町内は敷地が限られるため、290戸は隣接の石巻市に建てられました。が、それでも間に合わず、町は海上輸送用コンテナを利用し、45戸は2階建て、144戸は3階建てで造りました。 夫妻の引っ越しには親類8人が手伝いに駆けつけました。 2階に夫妻が、3階には夫妻の長女と孫娘が入居します。 10歳の孫娘も荷物をかかえて階段を上り下り。おっ母の弟が威勢よく声をかけます。 「よっ、力持ちっ」 狭い部屋へ運び込まれた荷物の山を前に、長女は「ベッドは買えないよ」と孫娘に告げました。すると、孫娘は明るい声で「サンタさんに頼むからいいよぉ」。 荷づくりの時も、荷ほどきの時も、あの日まで一緒だった家族の不在を再確認してしまうでしょう。その寂しさを吹き払うように、みんなの笑い声が行き交います。 長女は、あの日から、夫と3歳の息子の帰りを待っていました。 それまで床屋さん夫妻と長女一家の住まいは離れていました。2人の行方がわからないと知らされた時、夫妻は長女のそばにいようと決めました。おっ母は、何度も町役場に通い、仮設住宅は同じ棟にしてほしいと頼みました。 気丈な長女は一人で捜し回っていました。おっ母も、長女には内緒で安置所へ通いました。幼子の写真をめくります。この子か。目を凝らそうにも、涙でにじんで見えなくてね……。そう言って苦笑するおっ母の目は、ふたたび潤んでいました。 体育館にいた頃のことです。 長女は遠くを見つめながら、かたわらのおっ母に低い声でこう言ったことがありました。 「一緒だよね。パパと一緒だよね」 おっ母は即答しました。 「んだ。んだとも。パパと一緒だとも」 息子は夫と一緒にいる。 それが長女の心の支えであることを、おっ母は、痛いほど、わかっていました。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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