昨年暮れの夜。女川町の仮設住宅に漁師さん親子を訪ねました。玄関のドアを開けたら、そこは台所。ドアの前のマット1枚分が、玄関スペース。約30平方メートルの2DKです。 居間から可愛い声がします。 「パパ、お水ちょうだい」 漁師さんが、水を注いだコップを持ってきます。中学生の兄と小学生の姉が笑います。 「大王って呼んでいるんだ」。兄が教えてくれました。 「だって、のど、かわいたんだもん」 保育園児の大王さまは、澄ましたお顔。次に、漁師さんは、大王さまの前に器を差し出します。サイコロ状に小さく切った焼き餅に納豆をからめてあります。「あーん」。大王さまのお口へ、漁師さんが焼き餅を運びます。次はお薬。大王さまはお風邪なのです。咳き込みました。漁師さんはすばやく察知して、器を差し出し、もどしてしまった子の背中をさすります。器をのぞいて「薬も出ちゃったかなあ」と漁師さん。でも、すっきりしたよう。大王さまは、ケロリとしたお顔で、私が控える、ちゃぶ台へ。 その夜、私は折り紙を持参しました。年の瀬の新聞に載せるため、子どもたちに年賀状を作ってもらいます。前の晩、はがきを手に参上しますと、大王さまが黒ペンで一気に仕上げてくれました。現代美術の巨匠ジャクソン・ポロックのような絵です。すてきですね。でも、きょうだい3人で仕上げてもらいたいの。どうしたらいいかな。思いついたのが、ちぎり絵でした。大王さまは折り紙を手に「わたし、ピンク、好き。水色、好き」。 ふだん大王さまは、兄を「にぃに」、姉を「ねぇね」と呼びます。ねぇねは、黙々と、ちぎり絵で花畑を描いています。大王さまもちぎってはみたものの、すぐにあきてしまい、ハサミで切って、テープで貼って……。ふと、大王さまが、ねぇねに目を向けると、はがきの上に色とりどりの見事な花畑が出来上がりつつあります。 「あれ、わたしも、ほしい」 大王さまはちょっと泣き声です。 その年賀状は、仙台のおばちゃんへ送ることにしました。漁師さんが外出する日は、レンタカーで駆けつけ、保育園の送迎をしてくれる頼もしいおばちゃんです。にぃにが考えてくれた、おばちゃんへのメッセージを、ねぇねが丁寧に書き添えます。大王さまも。ねぇねをまねて、別のはがきに独自の文字を記します。 なんて書いたの。「あそぼうね」。保育園のお友だちへのメッセージです。 あの日は2歳でした。保育園の先生たちと高台へ避難しました。小学6年生のにぃにと、3年生のねぇねも、学校の先生たちと高台の体育館へ。にぃにが、少しだけ、話してくれました。 「どうせ大丈夫でしょと思っていた。迎えに来るまで寝ていたほうがいいな。食べ物がないから。おなか、すかさないように」 そうして2日待ち、3日待ちました。体育館へ迎えに来たのは、漁師さんでした。 4人は、自宅があった尾浦の高台のお寺へ。そこで寝泊まりします。漁師さんは、幼子のおむつをもらいに体育館へ通いました。「手がちがうから、泣かれるんだ」。疲れ切った顔で嘆いていたことを、にぃにの同級生のお母さんは覚えています。母乳で育てられたので、哺乳瓶が吸えません。離乳食を食べさせるため、漁師さんは「ママに怒られるぞ」と言わねばなりません。幼子は繰り返します。「ママどこ」「ママのとこ行く」……。そのつど言い聞かせます。「ママはお空の上」。あのころ、幼子の顔から笑みが消えました。 昨年暮れの夜。ちぎり絵を作り終えた後、私がカメラをむけると、大王さまは「わたしもとる」。おや、できるかしら。では、シャッターはここよ。 大王さまは、洗濯物を干し終えた漁師さんをパチリ。ねぇねのあっかんべぇも。にぃにも。いっしょに私もあっかんべぇ。あら、手ぶれしちゃったわね。でも、カメラマンは、満面に笑みを浮かべています。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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