花屋さんがある仮設の商店街には、定食屋さん、居酒屋さんもお店を構え、そこは牡鹿半島を中古のマイカーでめぐる私のベースキャンプでもあります。 2012年夏の昼下がり。 定食屋を出ると、千秋さんのお店の前に、孫娘が座っていました。手にはカフェオーレの紙パック。こんにちは、と私も隣に腰かけましたら、「どうぞ」と笑顔でカフェオーレを差し出してくれました。ありがとう、でも、のどはかわいてないから、だいじょうぶよ。それから、おしゃべりを楽しみ、憩いの時間を過ごします。孫娘が保育園の年長組の時です。 そのころ、お店にはベビーカーが置いてありました。 孫娘のマイカーです。 祖母の千秋さんが、手作りの免許証をベビーカーにとりつけてくれました。それを押しながら、9店舗が並んだ商店街を走り回っていました。「訓練の良いきっかけになりました」と母親の美智子さんは目を細めます。先天性脳性まひで、足に不自由があります。 11年3月11日。地震の後、美智子さんは、幼い2人の姉妹を連れて高台をめざしました。姉は小学校入学を控えていました。ランドセルを自宅に置いたままです。取りに戻りたい気持ちをこらえました。2日前、最大震度5弱を観測する地震が発生し、美智子さんは夫と「地震があったら高台の小学校の校庭で待つ」と約束したばかりです。 ここで戻れば、父ちゃんに怒られる。そう思いました。 翌12日を、妹は、こんなふうに覚えています。「吐いたの。注射をぶすっと差したの。父ちゃんが白いタオルを首に巻いていた」。自家中毒を起こしましたが、病院で点滴を受け、すぐに落ち着きました。姉とは対照的に、ハキハキと話してくれます。美智子さんは「お昼寝していた時の地震だったので、怖い思いをしなかったのでしょう」。 13年6月。 町の小学校で避難訓練がありました。訓練でも、記憶がよみがえり、つらくなる子がいますので、学校はあらかじめ「参加したくない子は無理に参加することはありません」と伝えていました。前年は、休んだ子が複数いました。この年はみんな参加しました。訓練中は真剣そのもの。無駄話をする子は1人もいません。校長先生は「みなさん、大変りっぱでした。100点満点です」とたたえました。 そこには、姉妹もいました。 校長先生の話を聴き終え、みんなが立ち上がります。1年生も整列します。 その時でした。 妹の前に並んでいた子が、ふりむきもせず、自分の手をさっと後ろに差し出しました。妹はその手をとって立ち上がります。とても自然な動作でした。 その後、授業を終えた1年生の妹の教室をのぞいてみました。その日は、妹が教室の電気を消す係。先生が周りの子に声をかけます。「スイッチに手が届くよう、手前のオルガンを動かしてあげてください」。そして妹にも「『ありがとう』を言いましょう」。子どもたちの笑顔がはじけ、歓声がわき、にぎやかな休み時間が始まります。 13年11月。 その日も、美智子さんは私のこまかい注文に応えて、ピンクの鉢植えをそろえた花かごを作ってくれました。そばには新しいベビーカー。千秋さんの長女、伶奈さんの赤ちゃんが寝ていました。姉妹に、いとこが生まれました。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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