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​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第33便 美智子さん姉妹<5> 霧の中

7/10/2014

 

 日本列島に早くも猛暑が到来した2014年6月。
 北海道でも35度以上を観測したのには驚かされましたが、牡鹿半島ではそれほど暑さに悩まされることはありませんでした。霧が出るためです。
 写真は、私の通勤路、6月の東松島市大曲(おおまがり)です。霧が晴れると、震災後初めての早苗田を望むことができます。 以前は1枚あたり10アールだった田んぼを10倍の1ヘクタールに広げました。15年春には一帯のすべての田んぼが再生します。
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​ 暑い日差しをさえぎる霧には助けられますが、夜霧は大変です。
 夜、家明かりを失った半島の浜辺は、暗闇におおわれています。3年3カ月後の今も変わらない被災の現実を、闇の中に見つめます。そこに霧がたちこめる晩は、私のハンドルさばきでは、時速20キロが精一杯です。ゆっくり走りながらも、半島で取材を始めてから1000日を数える頃、車の走行距離は7万4000キロに達しました。
 
 夜霧の中で思い出すのは、13年1月25日の光景です。
 その日の夕方、恵子さんから電話がかかってきました。
 「これから警察署へ行きます。一人で行くのは嫌だから、付き合って」
 明るい口調ですが、ふだんより早口になっています。緊張がうかがえました。
 ――順番がきたのですね。
 「今日午後、予約してくださいと電話がきたのよ。今日中にしてもらいたくて、夕方の最後の時間をお願いしたの」
 私も車で警察署へ向かいます。
 ヘッドライトを浴びた路肩の雪が、光っていました。
 
 警察署の玄関で恵子さんと落ち合います。
 1階の小さな部屋へ招かれました。
 恵子さんの前にA4判の紙が差し出されます。
 「引取書」と大きく書かれていました。
 その端に小さな字で「遺体番号女川441」。
 恵子さんの一番上の姉、美智子さんの番号でした。
 
 銀行員だった美智子さんは、震災の約1カ月後、女川町の塚浜で見つかりました。銀行の制服姿だったそうです。上着の胸には名札もついていたと聞かされました。棺の中の眠っているようなお顔を、恵子さんは、二番目の姉の礼子さんと共に確認しました。
 礼子さんは「今もまだ帰ってこられない人たちを思えば、こんなことを言ってはいけないんだけど」と断りながら、こう打ち明けます。「おねえさんが見つかったと聞かされた時は、本当に、がっかりした」。勤務先の女川支店で12人の銀行員たちが行方不明になり、最初に美智子さんが見つかったのです。「無事でいて」と礼子さんと恵子さんがつないでいた望みは、断ち切られました。
 妹たちの自慢の姉でした。
 美智子さんは石巻女子高校の卒業生です。今は石巻好文館と校名を変え、男女共学ですが、当時は石女(せきじょ)とも呼ばれた難関の女子高でした。高校卒業後、東北最大手の地方銀行、七十七銀行に入り、ずっと働きつづけました。休日は日本舞踊もつづけ、名取にまでなりましたが、仕事を優先して、長期休暇をとったことはなく、海外旅行をしたこともありません。55歳の準定年を迎えたら、海外の世界遺産をめぐろうね、と妹たちと楽しみにしていた、その矢先。54歳でした。
 
 12年10月、宮城県警察本部から葉書が届きました。
 DNA鑑定に備えて保管していた検体の返却を望みますか、との問い合わせでした。すべての遺族に葉書を送っていました。 遺髪を預かった場合もありますが、美智子さんの場合は爪でした。大事な形見です。すぐに返却を求めました。
 13年1月、その順番がまわってきたのです。
 大切な形見が、机に置かれました。
 「あぁ、おねえさん、おねえさん、おねえさん」
 堰を切ったように、恵子さんが呼びかけます。
 私はその震える肩を抱きしめることしかできません。
 応対していた警察官たちは静かに見守っていました。
 
 警察署を出ると、日はとっぷり暮れ、駐車場は真っ暗です。
 私は恵子さんを車まで見送ります。
 ――安全運転で帰ってくださいね。お母さんが待っていますからね。
 「大丈夫、大丈夫」。運転席の窓を開け、恵子さんが笑顔で手をふってくれました。
 その車を見送った後、私は、恵子さんのお母さんへ電話をかけます。
 ――いま、警察署を出られましたよ。
 受話器の向こうから、81歳のお母さんの涙声が聞こえます。
 「おねえちゃんと一緒に帰ってくるのね……」
 電話を切り、私も自分の車に乗ろうと振り向いて、ハッと足を留めました。警察署が視界に入ります。その玄関先に、応対してくれた警察官たちが立っていたのです。
 
 声が届く距離ではありません。私は黙って一礼しました。警察官たちも一礼を返します。そして今度は、名乗りもせずに付き添うだけだった私を見送るため、背筋を伸ばして立っているのです。凍りつくような寒さの中、コートも着ずに――。
 フロントガラスをつつみこむ夜霧の中に雪明かりがともっていました。

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    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

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