2013年11月。私は女川中に立ち寄り、3年生の国語の授業を参観します。その日から魯迅の『故郷』を読み始めました。教えるのは、バレー部顧問の敏郎先生です。 「『故郷』は小説です。小説って何を読むんですか。登場人物の気持ちを読み取るんです。読み取るにはどこに注目するんだろう。三つ挙げて。隣近所と相談して。『わかりません』は無しだからな」 そう言って机の間を歩き、生徒たちの話に耳傾けていた先生。ふふふと笑って「小野さんに聞いたらわかるぞ」。突然呼ばれ、教室後方で『故郷』を読みふけっていた私は、どきっ。 大丈夫、私なんぞに聞くまでもなく、生徒たちは「表情」「言葉」と答えていきます。 「言葉」の回答に先生が続けます。 「でも、言葉にしないこともあるし、言葉と裏腹のときもあるよね。小学生になると、好きな子をわざと蹴とばしたり、ものを隠したりするよね。俺たちはうまく組み合わせて読み取っています。小説の場合、もう一つあるんだよな」 先生の指名を受けた生徒は「まわりの・・・・・・、状況?」。 正解です。先生は「情景描写から読み取れる」と言い換え、解説します。 「なんで読み取れるのかというと、うれしい時に見える景色と、悲しい時に見える景色って、微妙に違うよな。天気がよくても、空の青さがつらいなっていう悲しい時がある。逆に雨が降っていても、雨音がリズムに聞こえる楽しい時がある。気持ちを言葉に出来ないこともある。うれしいんだか、ほっとしてんだか、悲しいんだか、まざっている時は、その時に見える景色で読み取ったりするね」 一同、静かに聞き入っています。 「えーと」。先生は明るい声で「『故郷』はそういう部分があります。今日は先生が読みますんで聞いて下さい。読み終わったらすぐ質問しますので、寝ないようにお願します」。 朗読が始まりました。まぶたが重くなっていく生徒もいます。 「質問しまーす」 目覚まし時計が鳴り出すように先生の声が教室中に響きます。 「主な登場人物を挙げましょう。登場人物って聞かれて、何を考えたらいいか。この『故郷』っていう劇を文化祭でやりまーす、となった時、必要なキャストだ」 「私」「母」「ルントー」「シュイション」と答えが続きました。 「シュイションって何だ。どういう関係?」 うつらうつらと舟を漕ぎ始めた生徒に尋ねます。 急な指名に生徒は目をぱちくり。先生は助け船を出します。 「次の三つから選べ。一、ルントーの息子。二、私の息子。三、私の恋の敵」 「・・・・・・いち」 先生は、眠たげな教室へ「もう1人登場人物を挙げられたら、旅行が当たります」。 登場人物が出そろうと、20年ぶりに故郷へ戻る「私」の気持ちを読み取ります。 「漢字2文字を探せ。今日これが出来れば終わりだ。給食は目の前だ。全員で言ってもらうので、わからない人は周りに聞いていいぞ。では、全員で声を合わせて、せいの!」 「寂寥!」 生徒たちが一斉に答えます。 先生は「20年ぶりにふるさとに帰る『私』は寂寥感いっぱいだった」とうなずきながらも、生徒のつぶやきに耳をそばだてて、こう続けます。 「今、とても良い質問が出ました。『寂寥』ってどういう意味ですかって。俺たちはあまり使わねえよな。『いやいや、今日の給食は寂寥だな』って言わねえよな。辞書で調べてもいい。周りに聞いていいです。それが出来たら終わりだ。『寂寥』を違う言葉で言ってみよう。せいの!」 「さびしい!」 生徒たちが声を合わせます。 先生は笑顔で引き取ります。 「いいか、想像しろよ。おまえたちが、すぐ帰って来られない所、たとえば、アフリカのセブンイレブンに就職して、20年ぶりにふるさと女川に帰ってくる。寂寥感いっぱいに帰ってくるんだ……。みんな、しーんとなったな。はい、終わります」 すっかり変わってしまったふるさと『故郷』の物語は、女川に重なります。 『故郷』2回目の授業。 先生は、主人公「私」の少年時代の友「ルントー」の特徴を挙げるように求めます。 「顔が丸い」 答えを受け、先生は黒板に少年を描き始めます。 「鳥を獲るのがうまい」「閏月の生まれ」と答えが出そろってきました。「とも君、重要なことを言っているな」と先生の指名を受け、最前列の智博君は「男」。うはは、わはは、と教室は笑いの渦へ。 ルントー少年は正月に「私」の家へやってきました。 先生は「なんで正月に来るのや。ルントーの父親はどんな人ですか。ここを読みましょう」。言われた箇所を生徒の1人が「マンユエ」と棒読みすると、先生は大きな声で「マァ~ンユゥエ」と自己流の発音を指導します。教室は大爆笑。生徒たちに印象づけるための発音指導です。「マンユエというのは使用人です」と先生。 その身分差が20年後、仲の良かった2人の間に溝をつくるのです。 「次の段落に進みます。強烈なキャラクターのヤンおばさんが出てきます」 先生のその言葉にこめられた意味を知る由もなく、教室は水を打ったように静かなまま。 「一段落ずつ読んでもらおうかな」 教科書の文章はカッコにくくられた話し言葉で改行しますから、「お船は?」と読むだけの生徒もいて、みんな噴き出します。智博君もヤンおばさんの言葉を読みます。 「忘れたのかい。なにしろ身分のあるお方は目が上を向いているからね」 まったく抑揚のない読み方に、先生は苦笑しながら、「待て待て待て待て。たった一行しか読まねえんだから、おまえ。もっと感情こめて」。教室にまた笑いが広がります。 「ということで、ヤンおばさんが出てきました。特徴は10個挙がるな。はい、考えろ。最初にあたるの、わかってるな」と、まぶたがとじかけた生徒に告知します。わかっていても睡魔には勝てません。ついに先生は笑い出して「小野さん、アップで写真とってくださいよ。あした、新聞に載るぞ、おまえ。『授業中寝てる』って」。愉快ですね。 では、ヤンおばさんの特徴を答えてもらいます。 「唇が薄い」 答えを聞きながら、先生は黒板に薄い唇を描きます。 「頬骨が出ている」 次の答えを受け、顔の輪郭を描き上げていきます。 毎年『故郷』の授業でヤンおばさんを描く先生。「もう200回以上描いています」 非常に強烈なキャラです。声が出なくなるほど笑っている生徒もいます。 最前列の智博君も興味津々で黒板を見つめていると、後ろから「ルントー」と声がかかりました。先生が描いたルントー少年が、智博君にそっくりだと言うのです。 智博君は振り返って「全然違うだろー」。 では、完成品をご覧いただきましょう。 左がヤンおばさん、右がルントー少年です。確かに。似ているかも。 この授業の最後に、先生は期末試験の範囲を教えます。 「『奥の細道』がかなり高い確率で出る、という噂を聞きました。『故郷』は残念ながら出ません。ん? みんな必死でヤンおばさんの顔を書き写しているようですけど、出ないです」 みんな喜んでノートを見せ合っています。 どれ。私も智博君のノートを見せてもらいました。 わはは。上手。 智博君は「彼のほうがもっと上手ですよ」と後ろの生徒のノートを指差します。 どれどれ。いやー、見事な頬骨だねえ。 先生の甲高い声の朗読「あらあら、まあまあ」と共に、ヤンおばさんは生徒たちに大好評。しばらく黒板にその姿をとどめていました。放課後の津波対策実行委員会でも、司会役の智博君の後ろに、あらあら、ヤンおばさんが。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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