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​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第7便 花屋さん一家と<3> 父の双眼鏡

12/24/2012

 

 女川町のコンテナ村商店街。その入り口から見た千秋さんのお店がこちらの写真です。
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​ コンテナの店舗を囲むウッドデッキは、ボランティアのみなさんが作ってくれました。
 
 今年秋、千秋さんはこんな話をしてくれました。
 
 お父さんの船が昨年5月に見つかりました。船にのこっていたお父さんの双眼鏡を、千秋さんが引き取りました。最近までそれを手に取る気持ちにはなれませんでしたが、このごろ、ようやく手にできるようになりました。
 
 目元にあてて、のぞいてみます。レンズが壊れて何も見えません。でも、「見える、見える」と明るい声で言ってみます。

 かげかえのない人がいつまでも帰ってこない。その悲しみについて、私はこう考えます。
 
 それは、消えることなく、いつも心の中にあります。ですが、時間がたつにつれ、心の底へゆっくりと沈んでいきます。ただ、何かに心が揺さぶられると、それはふわふわと浮き上がってきます。時には、また心いっぱいに広がります。悲しみは、浮かんでは沈み、沈んではまた浮かぶ、水底の砂のよう。

 ところで、いま、皆様はどちらでこのブログを読んでくださっていますか。海外でしょうか。日本でしょうか。九州でしょうか。東京でしょうか。
 
 今月7日夕方の地震をご記憶の方はいらっしゃいますか。宮城県三陸沖が震源地でした。この日、私は休暇で東京にいました。自著『50とよばれたトキ』のご縁で、新潟県佐渡トキ保護センターの菊池寛賞授賞式に招かれていたのです。地震発生は、ちょうど式典が始まった時でした。なかなかおさまりません。この揺れの長さは……。あの日の記憶がよみがえります。急いで式典会場を出ます。
 
 携帯電話がニュースメールを受信しました。三陸沿岸に津波警報発令。宮城県で警報発令は、昨年4月7日の余震以来、20カ月ぶりです。
 
 女川町は震度3でした。千秋さんは、長男の妻の美智子さんとお店にいました。そこは昨年の津波をかぶったところです。
 「どうしよう、どうしよう、どうしよう」
 千秋さんはうろたえました。震災後、小さな揺れでも、すぐに気が動転してしまうのです。
 
 千秋さんは長女の伶奈さんの外出先へ行こうとしました。
 「行ったらだめっ」
 美智子さんが引き留めました。そこへ行くには海岸を通らねばなりません。「迎えに行く」と言い張る千秋さんに、美智子さんがさらに強く言います。
 「だめっ。そうやって、みんな、あれだよっ」
 そうなのです。あの日、大切な人を助けに行こうとして、犠牲になった人もいたのです。
 
美智子さんは説きました。伶奈さんは帰宅しているかもしれないことを。
急いで戻ると、彼女は無事に帰っていました。
 
 美智子さんの小学2年になる上の娘は、泣きはらした目で母と祖母を迎えました。丘の上の自宅は、岩盤に立つためか、「ゴオォォ」という地鳴りと同時に揺れ始め、その音を聞くや、娘は火がついたように泣き出したそうです。久しく流していなかった涙でした。
 
 この地鳴りは、私自身、生まれて初めて、この町で耳にしました。震度1の微震でも、大地が「ゴオォォ」とうなるのです。最初に聞いた時は、一瞬、背筋が凍りつきました。
 
 
 地鳴りは、町の人々にとって、あの日の記憶を呼び覚ますものです。
 
 あの日、美智子さんは、女川港そばにあったお店にいました。町の防災無線のサイレンが「ウ~ッ」と鳴り続けています。千秋さんたちは外出中。美智子さんはひとりきりでした。
 「逃げなきゃ」
 保育所へ急ぎます。娘2人を車に乗せ、高台の小学校へ向かいました。
 
 高台からは津波で流されていく家が見えました。下の娘をだきあげ、上の娘の手をひき、さらに高い丘をめざします。美智子さんは、あふれる涙を止められませんでした。泣きつづける彼女の肩にすがり、その手をにぎりながら、娘2人は泣きもせず、わめきもせず、黙っていたそうです。ただ、上の娘は震災後、地鳴りを聞くたび、泣き出すようになりました。
 
 しかし、7カ月後の昨年10月、こんなことがありました。小学校の学芸会の日でした。体育館の舞台上で高学年の子どもたちが劇を披露しています。その最中です。地鳴りでした。館内はしんと静まり返ります。誰も泣いたり叫んだりしません。
 
 震度2の揺れがおさまるのを静かに確認した後、劇が再開されました。子どもたちは最後まで立派に演じきり、保護者たちから大きな拍手が送られました。
 
 そこには美智子さんの7歳になる上の娘もいました。小学校では、友だちも一緒です。先生もいます。7歳の子も踏ん張りました。
 
 その子が、今年夏に見せた笑顔が、こちらの写真です。
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 あの日の記憶も、沈んでは浮かび、浮かんでは沈みながら、心の中にあるのです。

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    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

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