遠目ではわからないことがあります。女川町から道なりに約20キロ北へ。昨年秋、私は北上川の河口に向かいました。川沿いの細い砂利道を走ります。前方に大型トラックを見つけるたび、道端に車を寄せて待ちます。1キロ進むにも5分かかるような道でした。 そこは震災後に急いで造られました。牡鹿半島を中心に、石巻市の沿岸部は、震災で1メートルほど地盤沈下しました。川沿いにあった舗装道路も沈み、津波は周囲の住宅や商店を押し流し、一帯は湿地に姿を変えました。 そろそろ河口に着いたのか、と砂利道から目を凝らします。水面に浮かんで見えるのはガードレールでした。 あのときの悲痛な叫び声は、いまも私の耳元に残っています。水平線へ向かって思いをこめた、それは礼子さんの声でした。 「おねえさあぁぁぁん」 昨年5月の大型連休前でした。風はまだ冷たく、コートを羽織るほどの寒さでした。銀行員の美智子さんが最後までとどまった勤務先、女川支店の建物の解体がまもなく始まるため、礼子さんと恵子さん姉妹はほかの行員の家族たちと2階建て支店の屋上へ上っていきました。 |
Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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