2013年6月。 私は女川中の避難訓練の様子を見せてもらいました。 1978年6月12日に宮城県沖地震があり、この再来に備え、毎年6月に訓練を行います。 訓練は毎年、抜き打ちです。 訓練日のみ、全校生徒と教職員たちへ伝えます。 時間は秘密。校長、教頭、防災担当の先生だけが承知しています。 1時間目。私は音楽室へ。2年生の授業を参観します。 私の姿に生徒たちは「訓練は1時間目だ・・・・・・」。 訓練の開始時刻を承知する私は、何も言わず、笑みを返すだけ。 みんなピアノに合わせて歌います。歌えば心身ともにリラックス。雑談が始まります。 音楽の恵先生は「静かに」と制し、クギを差します。 「今日はいつ地震が起きるかわかりません。先生はみんなを置いて逃げます。あんだだぢは自分で自分を守らなくてはいけませんよ」 これこそが抜き打ち訓練の成果です。 教室も職員室も、朝から訓練の話題で持ち切りになります。 1時間目終了。恵先生は「終わりまーす。音楽の時間にサイレン鳴んねかったなあ。さあ、3年生来っから、机の中を空にしてくださーい」。 次に音楽室へやってきたのは智博君のクラスの3年生。 彼らも私を見て口々に「訓練だ・・・・・・」。 その2分後。 校内放送です。 「ただいま地震が発生しました」 停電を想定し、その一言で放送は終わります。 同時に廊下から2年生たちの叫び声が響きました。 「うわあぁぁ」「早くしないと死んじゃう」「どうすんの」 あれほど「今日は訓練」と言われていても本番は大慌て。抜き打ちの効果絶大です。 休み時間中のため、拡声機を手にした先生たちが「避難を開始します、外に出なさい!」と呼びかけて回り、トイレの個室も確認していきます。 恵先生は「逃げて逃げて」と生徒たちを廊下へ誘導し、「けがすっから、けがすっから」と注意喚起しながら先導します。3年生は口を真一文字に結んで外へ。 玄関前に集合。校庭には出ません。校庭へ出るには体育館脇を通りますが、あの日は、体育館の窓ガラスが散乱して校庭へ出られなかったので。 防災担当の敏郎先生が拡声機で次の指示を出します。 「大津波警報が発令されました。ここは危険なので浄水場の坂まで行きます。1年生を先頭についてきなさい。はい、小走り、早く!」 先頭の1年生たちは必死の表情。私は全速力の彼らを追い抜くことができません。 数分後、学校上の山の坂道に全校生徒約200人がそろいます。 しばし、生徒たちのおしゃべりが続きます。 緊張を解きほぐすため、懸命におしゃべりしているかのよう。 敏郎先生が生徒たちへ話し始めました。 |
Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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