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​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第36便 美智子さん姉妹<8> シウリ

9/11/2014

 

 2013年10月15日の朝。女川湾の北、尾浦(おうら)の浜で、カキむきの作業が始まりました。被災した共同処理場を建て直し、震災後初めてのカキむきです。
 水揚げ後、半日殺菌したカキを手に、「むき子」と呼ばれる人たちが小刀を使って次々に殻をむき、真っ白な身を取り出します。その手元へ処理場の窓から朝の光がふりそそぎます。むき子たちが交わす声。殻が重なる音。小さな浜が活気づきます。
 水揚げされたカキを見に行きました。
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第35便 美智子さん姉妹<7> 浜の碑

8/19/2014

 

 牡鹿半島のあちこちの浜で同じ言葉を刻んだ古い石碑を見つけます。
女川町の離島、出島(いずしま)の港のそばにもあり、町中心部の鷲神浜(わしのかみはま)にもあります。写真は、町の南、野々浜(ののはま)で見つけた碑です。
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第34便 美智子さん姉妹<6> ライト

7/28/2014

 

​ 2014年2月9日の朝7時。女川町へ行くため、東松島市の自宅を出ました。通常は1時間かからずに着きますが、大雪の翌朝でしたので、2時間を見込んだ出発です。
 1時間後。マイカーは自宅からわずか300メートル前進したのみ。私は額の汗をぬぐいながら、前方のトラックのタイヤ下の雪かきに参加していました。
 この日、隣接の石巻市では最大積雪量38センチを観測しました。1923年に43センチを観測して以来、91年ぶりの大雪でした。
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第33便 美智子さん姉妹<5> 霧の中

7/10/2014

 

 日本列島に早くも猛暑が到来した2014年6月。
 北海道でも35度以上を観測したのには驚かされましたが、牡鹿半島ではそれほど暑さに悩まされることはありませんでした。霧が出るためです。
 写真は、私の通勤路、6月の東松島市大曲(おおまがり)です。霧が晴れると、震災後初めての早苗田を望むことができます。 以前は1枚あたり10アールだった田んぼを10倍の1ヘクタールに広げました。15年春には一帯のすべての田んぼが再生します。
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第12便 美智子さん姉妹<4> おねえさん

3/10/2013

 

 あのときの悲痛な叫び声は、いまも私の耳元に残っています。水平線へ向かって思いをこめた、それは礼子さんの声でした。
 「おねえさあぁぁぁん」
 
 昨年5月の大型連休前でした。風はまだ冷たく、コートを羽織るほどの寒さでした。銀行員の美智子さんが最後までとどまった勤務先、女川支店の建物の解体がまもなく始まるため、礼子さんと恵子さん姉妹はほかの行員の家族たちと2階建て支店の屋上へ上っていきました。
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第11便 美智子さん姉妹<3> 夕方に祈る

2/25/2013

 

 万石浦では何本もの木の杭を目にします。海面には浮き球や浮き樽もあります。それらはカキ養殖のものです。
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昨年12月の万石浦

 養殖の妨げとならぬように、重機を搭載した船が、海底のがれきの撤去を急ぎます。日没の時間が迫っていました。
 
 日暮れ時、美智子さんのお母さんはいつも思うのです。
 「おねえちゃんが帰ってくる時間だ……」
 同時に、こうも思うのです。
 「ああ、おねえちゃんはもう帰ってこないんだ」

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第10便 美智子さん姉妹<2> 元日に思う

2/17/2013

 

​ こちらの写真は、2013年の初日の出です。東松島市の野蒜(のびる)海水浴場から撮りました。
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 写真左の海の向こうに牡鹿半島が見えます。海水浴場はまだ復旧途上です。近辺には被災した家屋が、廃屋と化したまま、たたずんでいます。この後、私は美智子さんの家族を訪ねました。
 
 銀行員の美智子さんはシングルでした。両親は、牡鹿半島の西側にある大きな入り江、万石浦(まんごくうら)で漁を営んでいました。1997年、お父さんの闘病生活が始まりました。三女の恵子さんが仙台市での仕事を辞め、看護のため、実家に戻りました。長女の美智子さんも、実家に近い支店を希望して戻ってきました。次女の礼子さんは仙台市の会社勤めを続けながら、週末、看病に通いました。お父さんが亡くなった後も、恵子さんと美智子さんは実家に残りました。週末には礼子さんも戻り、お母さんに寄り添っていました。

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第9便 美智子さん姉妹<1> 返信を待つ

1/29/2013

 

 朝6時すぎ、私は携帯電話の呼び出し音で目をさましました。受話器の向こうから、明るい声。
 「恵子です。朝早くにごめんね」
 えっ、あ、もう朝。あわてました。前夜、私は目覚まし時計をセットせず、早々に寝てしまったのです。
 「メールの返事がなかったから、姉も心配していたの」
 え……。前の晩、恵子さんの姉、礼子さんからのメールに気づかず、私は熟睡してしまい、朝のメールにも気づかず寝ていました。昨年12月のクリスマスの朝のことです。
 
 クリスマスイブの夜、私は礼子さんと恵子さん姉妹を訪ねました。 81歳のお母さんが明るい声で「食べらいん(食べなさい)、食べらいん」と食卓に招いてくださいました。
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    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

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