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​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第28便 健太さんの家族<8> 応援歌

1/31/2014

 

 2013年7月14日。私は休暇をとり、仙台市民球場のスタンドにいました。夏の高校野球県大会です。健太さんの母校、県立古川高校が初戦に挑んでいました。
 私はタオルを振り回し、声を張り上げます。
 隣に、健太さんの彼女と、お父さんも座っています。
 タオルは、11年11月、健太さんをしのぶ会の参列者たちへ渡すため、彼女がデザインして作ったものです。みんながスポーツ観戦に行く時、どうぞ、一緒に連れて行ってもらえますように。そんな思いがこもったタオル。端に記した数字の「2」は背番号です。
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第27便 健太さんの家族<7> 同級生

1/10/2014

 

 両親が署名活動を始めたのは、2012年12月1日でした。
 仙台の街頭に立ちます。
 お父さんは、用意した横断幕の前でハンドマイクを手に、署名を呼びかけました。
 この日の最高気温は4.7度。北北西の風が吹き付け、氷点下のような寒さを感じます。
 マイクを握るお父さんの手は真っ赤です。
 手袋をしたらいかがですか、と私が話しかけると、お父さんは「いや、健太に笑われてしまう」。2時間、お父さんは素手を通しました。
 
 両親にとって初めての署名活動。
 お母さんは声が出ません。
 誰にどう切り出したらよいかもわかりません。
 手作りの看板を背負って、立ち尽くしていました。
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第26便 健太さんの家族<6> 兄と妹

12/24/2013

 

 健太さんの両親が署名活動を思い立ったのは、2012年の晩秋でした。
 
 文言を吟味し、横断幕を用意し、準備に熱中する両親の横から、健太さんの4歳下の妹が口をはさみました。
 「仙台で署名してくれる人なんて、いないよ。チラシだって、受け取ってくれるかどうか。署名なんて、仙台では全然期待できないからね」
 冷めた口調でした。誰も署名なんかしない。そう思いました。その時になって両親が落胆することも心配でしたから、あえてクギをさしたかったのです。が、熱くなっているお父さんから「自分の兄貴のことなのに、なんだ、その言い方は」と叱られてしまいました。
 2人きりの兄妹です。幼いころの写真を拝借しました。
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第25便 健太さんの家族<5> 日本一

11/20/2013

 
 
 牡鹿半島に赴任して2年が過ぎました。
 この間、被災した建物の撤去は進みましたが、いまもまだ、地盤沈下で壊れた岸壁が所々にのこり、色あせた夏草におおわれた街跡地が広がっています。
 今年10月、早朝の女川港を写しました。
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​ そこにあった暮らしを思うと胸が痛む景色ですが、私は、この情景の中に身を置くほうが、仙台駅前の雑踏にいるより、落ち着きます。
 10月末。仙台駅前のにぎわいは、別世界へ来たような違和感がありました。地元球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」の快進撃を応援する歌やメッセージが街中にあふれています。この街をどんな思いで歩いているのか……。私は、健太さんのお父さんの胸中を思いました。
 
 お父さんの勤務先は仙台です。会社から徒歩数分先に、楽天の本拠地「日本製紙クリネックススタジアム宮城」があります。お父さんが仕事を終えて外へ出ると、会社前の通りは球場へ急ぐ人々であふれかえっています。明るい声が飛び交う中、お父さんは、ひとり背を向け、黙々と家路に着くのです。
 
 あの日がなければ、お父さんも球場へ向かったでしょう。
 長男の健太さんと連れ立って行ったでしょう。
 一緒に興奮し、一緒に声援を送り、一緒に祝杯を上げたでしょう。
 
 小学校から野球を始めた健太さんは、ずっとキャッチャーでした。県立古川高校3年の夏、県大会で8強入りを果たした記録は、いまなお、校史の中で輝いています。
 試合中の健太さんはいつも声を出していました。ミットで胸をたたき、「俺に向かって思いきり投げ込め」というジェスチャーを繰り返していたそうです。
 東京の大学でも野球をつづけました。就職活動は七十七銀行を第一希望に据えます。エントリーシートを朝一番に持参し、受け付け番号「1番」をもらいました。都市対抗野球でも活躍している銀行ですから、ずっと野球にかかわれると期待していたようです。
 
 2011年3月11日、25歳の健太さんは、女川支店で勤務中でした。支店長の指示の下、2階建て支店の屋上へ避難し、津波で流され、約半年後の9月26日、海で見つかりました。葬儀を終えても、両親は遺骨を手放せませんでした。
 12年夏、お父さんはようやく、お墓をつくろうと心を決めました。墓所を案内していただきました。裏山を見上げ、お父さんは「桜の木を植えられるかな」とつぶやきました。
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 家を離れてしまう息子に、愛用のミットを持たせたいと考えました。
 一緒に仙台まで買いに出かけたミットです。その日の曇天を、お父さんは今も覚えています。健太さんはそのミットで高校生活最後の夏の試合に挑みました。
 お父さんたちは、墓石メーカーを通じ、彫刻家に頼みました。
 縫い目一つひとつが再現されました。使い込まれた黒ずみも。
 まさしく、ボールをつかんだ健太さんのミットです。
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​ 震災後、お父さんたちは銀行に何度も問いました。支店から走れば1分で行ける高台がありました。そこは町の指定避難場所です。なぜそこへ行かなかったのか。
 銀行の避難のマニュアルには、津波の時は「指定避難場所または支店屋上等の安全な場所へ避難」と記してありました。そのため、銀行は、支店屋上への避難は「問題なかった」と繰り返します。議論は平行線をたどりました。
 12年9月11日、お父さんたち3家族は裁判に踏み切りました。
 その後、休日のたび、仙台市の街頭で、あるいは支店跡地の前で、銀行に対して原因究明と再発防止策の確立を求める署名を募っています。ある日は70人、ある日は140人、とコツコツと集めた署名の人数は1万人を超えました。
 
 あの日から、お父さんは、野球中継を見ることも、スポーツ記事を読むこともできずにいます。「楽天のニュースは、東北の人々にとって大変喜ばしいことです」と語ります。でも、そのニュースに目を凝らすことはできません。
 
 楽天が日本一を決めた翌日。女川町に隣接する石巻市のショッピングセンターは優勝セールでにぎわい、大通りには駐車場の空きを待つ買い物客の長い車列ができました。
 その日も、お父さんたちは、朝から夕方まで、支店跡地の前で署名を呼びかけていました。空は、雨をふくんだ灰色の雲におおわれていました。

第4便 健太さんの家族<4> 高校球児へ

12/4/2012

 

​ 25歳の銀行員健太さんは、2人きょうだいの兄でした。4歳下の妹がいます。身長は171センチ。肩幅がありました。背格好も、お顔も、お父さんそっくり。
 「息子はお父さんの分身なんです」とお母さんが笑います。
 お父さんによると、健太さんの性格はお母さんそのものだそうです。良いものは良い、悪いものは悪い、とはっきり言う子でした。
 
 健太さんは、お父さんの母校でもある宮城県立古川高校へ入学し、野球部に入りました。正捕手を務め、高校3年の夏の県大会ではベスト8入りを果たします。高校3年間の公式戦でパスボールが一つもなかった捕手でした。
 
 昨年夏はまだ一心不乱に捜していました。今年夏、お父さんは初めて、息子の高校時代の野球帽を手にとりました。帽子の内側に手書きの字が残っていました。
 ONE FOR ALL
 その言葉を記した横断幕を作り、この夏、母校の野球部へ贈ることにしました。

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第3便 健太さんの家族<3> ピンクの机

11/26/2012

 

​ 女川港の周囲には中心街が広がっていました。港を通り抜ける国道沿いには、住宅や商店が軒を連ねるように立ち並んでいました。いまは、津波で横転したビル3棟ともう1棟が残るだけとなりました。
 「あの店はこの辺だったかな、と思い出そうにも思い出せなくなってきた。いま自分がどのあたりを歩いているのか分からなくなる時もある」
 町役場でそんな話も聞きました。
 
 あの日、健太さんが最後までとどまった七十七銀行女川支店の建物も、今年春に解体撤去されました。
 「解体が始まると聞き、もし息子の机を捨てるのなら、私たちにゆずってほしいと頼んだの」
 お母さんはそう言って、うれしそうに続けました。
 「それでね、いまはうちにあるんです」
 
 え? オフィスの事務机がうちに? 大きな事務机を一体どこに置いているのですか?
 「息子からも見える軒下の雨のあたらないところにちょうどおさまったんですよ」
 お母さんは「うふふ」と笑い声を上げました。
 「おかあさんったら、と、うちの息子もあきれているでしょうね」
 
 さっそく見せていただきました。確かにありました。軒下に。

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第2便 健太さんの家族<2> 思い出の魚

10/23/2012

 

 牡鹿半島で取材を始めて1年が過ぎました。
 
 ふだんの移動は車です。1年間の走行距離は3万キロ近くになりました。かつて新潟県の佐渡島に駐在した頃、1年間の走行距離は1万キロほどでした。佐渡の3倍も走っているのに、ここには今もまだ取材していない漁港があり、焦ります。
 
 ほぼ毎日のように足を運ぶのは、女川港です。港そばの高台に町役場、小中学校、仮設住宅の団地がありますから。私が通い始めた昨年秋、港のわきで魚市場も再開していました。付近に倒壊した建物しか残っていない港の一画で、人々を呼び戻す魚市場。町の底力を感じます。
 
 その市場でヒョウタンのような姿の魚に出合いました。何という魚ですか、と尋ねると、仲買人の魚屋さんも「初めて見るね」。なんと、そんなことがあるのですね。結局、「食べ方がわからないからだめだ」と海へ返すことになりました。その前に撮らせていただいた写真がこちらです。親切にしてくださった魚屋さんも、後継ぎの長男夫婦を津波でなくしました。長男は今も行方不明です。

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第1便 健太さんの家族<1> 2度目の秋

10/17/2012

 

​ みなさま、こんにちは。宮城県の牡鹿半島からお便りしています。ここ牡鹿半島も10月、長い長い酷暑からようやく解放されました。やわらかい秋の日差しにほっと息をついていましたら、健太さんのお父さんから、こんなお便りをいただきました。
 
 「日暮れが早くなり、涼しくなってくると、いやな気持ちになりますね」
 思い出すのです。春まだ浅く日暮れも早かった2011年3月11日を。
 
 長男の健太さんは25歳でした。東京の大学を卒業後、生まれ育った宮城県に戻り、全国屈指の地方銀行、七十七銀行に就職しました。
 
 最初は仙台市の支店で働き、2010年春、女川町の女川支店へ転勤しました。あの日も、女川港そばの支店にいました。12人の行員と共に2階建ての支店の屋上へ避難しましたが、津波が到達します。次の週末には恋人を両親に紹介する予定でした。
 
 牡鹿半島で取材を始めて1年が過ぎ、2度目の秋を迎えました。自戒を繰り返す毎日です。忘れている時があるのです。めぐる季節に、心浮き立つ人もいれば、心が沈む人もいることを。

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    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

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