女川町のコンテナ村商店街。その入り口から見た千秋さんのお店がこちらの写真です。 コンテナの店舗を囲むウッドデッキは、ボランティアのみなさんが作ってくれました。 今年秋、千秋さんはこんな話をしてくれました。 お父さんの船が昨年5月に見つかりました。船にのこっていたお父さんの双眼鏡を、千秋さんが引き取りました。最近までそれを手に取る気持ちにはなれませんでしたが、このごろ、ようやく手にできるようになりました。 目元にあてて、のぞいてみます。レンズが壊れて何も見えません。でも、「見える、見える」と明るい声で言ってみます。 こちらの写真は、私の部屋にあるゼラニウムの鉢植えです。これは、育ての親、花屋の千秋さんにはちょっとお見せできない写真です。 昨年暮れ、千秋さんのお店で買った時は、とても青々とした葉でした。ところが、この夏、日焼けしたのか、しみだらけの葉に変身してしまったのです。もうひとつ買っておいた観葉植物は夏の間に枯れてしまったので、このゼラニウムを枯らすことはできません。 この赤い花を見るたび、買い物した時の千秋さんの笑顔を思い出し、うれしくなります。 牡鹿半島を海沿いに車で行くと、いくつもの入り江を通ります。あの日、半島一帯は1メートルほど地盤沈下しました。岸壁も沈み、波が打ち寄せています。陸側には更地が広がっています。その所々に置かれた花瓶が、その地に人々が暮らしていたことを静かに語り継いでいます。花瓶に菊や百合が供えられた日は、その日が月命日の11日であることを思い起こします。1カ所だけ真新しい花束を目にすることもあります。今日はお誕生日かしらと思いめぐらせます。 今年9月26日。私も花を届けました。これまでお話ししてきました、銀行員の健太さんが、海から帰ってきた日です。銀行支店の建物は、この春、撤去され、今は更地になっています。健太さんの両親は、ほかの家族の方々と、そこに花壇を作りました。姉が好きだった赤色の花、妻が好きなピンク色の花の鉢植えを、それぞれ置きました。小さな太陽光のライトも備え付けました。待っているよ、と。健太さんを含む行員4人は遺体で見つかりましたが、8人がまだ帰ってきてません。 25歳の銀行員健太さんは、2人きょうだいの兄でした。4歳下の妹がいます。身長は171センチ。肩幅がありました。背格好も、お顔も、お父さんそっくり。 「息子はお父さんの分身なんです」とお母さんが笑います。 お父さんによると、健太さんの性格はお母さんそのものだそうです。良いものは良い、悪いものは悪い、とはっきり言う子でした。 健太さんは、お父さんの母校でもある宮城県立古川高校へ入学し、野球部に入りました。正捕手を務め、高校3年の夏の県大会ではベスト8入りを果たします。高校3年間の公式戦でパスボールが一つもなかった捕手でした。 昨年夏はまだ一心不乱に捜していました。今年夏、お父さんは初めて、息子の高校時代の野球帽を手にとりました。帽子の内側に手書きの字が残っていました。 ONE FOR ALL その言葉を記した横断幕を作り、この夏、母校の野球部へ贈ることにしました。 |
Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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