万石浦では何本もの木の杭を目にします。海面には浮き球や浮き樽もあります。それらはカキ養殖のものです。 養殖の妨げとならぬように、重機を搭載した船が、海底のがれきの撤去を急ぎます。日没の時間が迫っていました。 日暮れ時、美智子さんのお母さんはいつも思うのです。 「おねえちゃんが帰ってくる時間だ……」 同時に、こうも思うのです。 「ああ、おねえちゃんはもう帰ってこないんだ」 こちらの写真は、2013年の初日の出です。東松島市の野蒜(のびる)海水浴場から撮りました。 写真左の海の向こうに牡鹿半島が見えます。海水浴場はまだ復旧途上です。近辺には被災した家屋が、廃屋と化したまま、たたずんでいます。この後、私は美智子さんの家族を訪ねました。 銀行員の美智子さんはシングルでした。両親は、牡鹿半島の西側にある大きな入り江、万石浦(まんごくうら)で漁を営んでいました。1997年、お父さんの闘病生活が始まりました。三女の恵子さんが仙台市での仕事を辞め、看護のため、実家に戻りました。長女の美智子さんも、実家に近い支店を希望して戻ってきました。次女の礼子さんは仙台市の会社勤めを続けながら、週末、看病に通いました。お父さんが亡くなった後も、恵子さんと美智子さんは実家に残りました。週末には礼子さんも戻り、お母さんに寄り添っていました。 |
Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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