遠目ではわからないことがあります。女川町から道なりに約20キロ北へ。昨年秋、私は北上川の河口に向かいました。川沿いの細い砂利道を走ります。前方に大型トラックを見つけるたび、道端に車を寄せて待ちます。1キロ進むにも5分かかるような道でした。 そこは震災後に急いで造られました。牡鹿半島を中心に、石巻市の沿岸部は、震災で1メートルほど地盤沈下しました。川沿いにあった舗装道路も沈み、津波は周囲の住宅や商店を押し流し、一帯は湿地に姿を変えました。 そろそろ河口に着いたのか、と砂利道から目を凝らします。水面に浮かんで見えるのはガードレールでした。 目に映していても、気づかないことがあります。こちらも北上川の河口に近い長面浦(ながつらうら)のそばを通った昨秋のこと。丸い葉は「ホテイアオイ」に似ています。青い花を写真におさめて通り過ぎました。 あとから新聞記事で知りました。それは「ミズアオイ」でした。準絶滅危惧種です。絶滅危惧種の予備軍に位置づけられている貴重な植物でした。記者としては面目ない話です。開発が進むのに伴い、数を減らした湿地の植物ですが、昨秋、石巻市沿岸部の所々で花を咲かせました。津波で表土がかきまわされ、地中で眠っていた種子が芽を出したのではないかと言われています。 床屋さんに出会った時も、そうでした。みなさまはお手元に『女川一中生の句 あの日から』をお持ちですか。これからお話しします床屋さんは「はしがき」の最後のページでご紹介した方です。 初めてお見かけしたのは、2011年10月でした。「おながわ秋刀魚収獲祭」のフィナーレの踊り「さんまDEサンバ」に床屋さんも参加していました。ペットボトルのお手製のマラカスをゆすりながら、高々と足を上げ、声を出し、弾けるように踊っていました。お元気そう。よかった。その時、私はそう思ってしまいました。 翌11月、再び、お見かけして、声をかけ、そして教えていただきました。ずっと打ちのめされていたことを。あの時、思いきり踊って、やっと立ち上がれたことを――。 その11月に仮設店舗で仕事を再開しました。夫婦でお店を切り盛りしています。「おっとう」「おっかあ」と呼び合う夫妻にならって、ここからは、おっ父、おっ母、と書かせていただきましょう。今では私の行きつけの床屋さんです。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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