昨年暮れのことです。女川町役場の取材を終え、女川港へ急いでいると、車から妙な音がします。路肩に止めて点検すると、後輪のパンクでした。 さて、どうしたものか。2キロほど先のバイク店へ向かいました。店主は一目で「ここにクギが」。慣れた手つきでタイヤからクギを抜き取り、10分もたたずに修理は完了。 そのクギがこちら。大きさを見ていただくのに、本と一緒に置いてみました。 誰かのおうちの大事な忘れ形見かも。そう思うと捨てられず、今も自宅にあります。 おっ母の言葉を聞いて以来、更地に散らばる建物のかけら一つひとつに思いをはせるようになりました。お茶っこしながら、おっ母はこんなことを教えてくれたのです。 「土台だってね、愛おしいの。携帯に写真を残しているのよ」 昨年5月、まだ残っていた床屋さんのお店の土台を私もカメラに収めました。その土台が撤去されたあとの10月、跡地で床屋さん夫妻の写真を撮らせていただきました。新しい町づくりのために、そこにはやがて高さ5メートルの土が盛られます。 おっ父は、お店の再建資金を考え、その土地を町へ売ることにしました。 おっ母が、笑いながらも涙をにじませ、こう語ってくれました。 「お父さんの気持ちもわかるのよ。子どもたちにも迷惑はかけられない。でもね、自分たちで買って、25年間暮らした土地でしょう。土地があれば、また何かあっても、できると思えた。心のよりどころだった。そこを手放すと聞いたら、さびしくて、さびしくて、夜も眠れなくなってね。それをお父さんに何度も訴えて、怒られてね」 ところが、おっ父も、売買契約を済ませた後、胸にぽっかり穴があいたような気持ちになったのです。私が仮設住宅に夫妻を訪ねた夜、おっ父は、パック詰めの日本酒をコップにそそぎながら、ぽつりと打ち明けてくれました。 「なんだかやあ、こう、無性に、さびしくなってさあ」 ここ女川町の人々から「土地を売った」という言葉はあまり聞きません。私が耳にするのは、こんな言葉です。 「土地も手放した」……。 床屋さん夫妻は、仮設住宅を出たあとの住まいも、長女と孫娘のそばに構えようと心に決めています。今年初め、おっ母は長女たちに「一緒に住みたいね」と言ってみました。 「えっ?!」。長女と孫娘は同時に声を上げました。 「あら、なに、その返事は」と思いながらも、息の合った2人の反応に、おっ母はうれしいやら、おかしいやら。同居すれば心配も募って余計な口をはさんでしまうかもしれませんね。スープの冷めない距離から見守っていたい。そう夫妻は思うのです。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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