女川港から国道を東へ約3キロ走ると、女川湾を望む高台に着きます。崎山(さきやま)公園と呼ばれ、滑り台やシーソー、ジャングルジムがありました。遊具だけ見れば、どこでも目にするような公園です。 津波は届きませんでしたが、地震で崩れる恐れが生じ、今は立ち入れません。女川町によると、全長110メートルにわたって、50センチから大きな所では1メートル幅におよぶ地割れが起こり、その幅と同じくらいの段差もできています。町は、崩れた地盤を取り除き、もう一度、公園を造れないかと考えています。 私が「あの公園もなくなるそうですよ」と何気なく口にすると、祐子さんのご主人は「なくなるのか……」。しばらく次の言葉が出てきませんでした。 思い出の場所なのです。 祐子さんは町で生まれ育ちました。2人姉妹の姉です。両親の老後は、姉の自分が面倒を見なければと心に決めていました。両親にとって、なんでも相談できる頼もしい娘でした。結婚後、航空自衛隊員の夫の転勤に伴い青森県へ引っ越しましたが、松島基地の勤務に戻ると、両親の元へ夫と2人の子と共に帰ってきました。 「ほんわかした雰囲気」 祐子さんをご主人はそう描写します。聞き上手な妻でした。官舎でのご近所付き合いも、妻に任せれば、安心でした。おしどり夫婦でした。両親も子どもたちも夫婦げんかを見たことがありません。子どもにも「おらいのおっ父とおっ母はラブラブだものね」と言われるくらい。祐子さんは「そうだよ」と笑顔で応じていました。 5月の大型連休。「花見に行くか」とご主人が言い出せば、「行く、行く」と祐子さん。家族みんなで出歩くのが大好きでした。夫がハンドルを握ります。運転免許をもたない祐子さんは助手席へ。子どもたちがそこに乗り込もうとすると、祐子さんは「だめだめ、そこは、おっ母の指定席」と制しました。後部座席に両親と2人の子を乗せて出発。車のナンバーは夫妻の結婚記念日です。子どもが小さいころ、よく出かけたのが、崎山公園でした。 公園に寄った後は北へ。雄勝湾まで足を伸ばします。外出先では、おばあさんが「好きなの、食わいん(食べなさい)、食わいん」とみんなに食事やお茶をふるまいました。 家族旅行はいつも6人一緒でした。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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