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​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第26便 健太さんの家族<6> 兄と妹

12/24/2013

 

 健太さんの両親が署名活動を思い立ったのは、2012年の晩秋でした。
 
 文言を吟味し、横断幕を用意し、準備に熱中する両親の横から、健太さんの4歳下の妹が口をはさみました。
 「仙台で署名してくれる人なんて、いないよ。チラシだって、受け取ってくれるかどうか。署名なんて、仙台では全然期待できないからね」
 冷めた口調でした。誰も署名なんかしない。そう思いました。その時になって両親が落胆することも心配でしたから、あえてクギをさしたかったのです。が、熱くなっているお父さんから「自分の兄貴のことなのに、なんだ、その言い方は」と叱られてしまいました。
 2人きりの兄妹です。幼いころの写真を拝借しました。
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​ 健太さんは、石巻市の独身寮から女川支店へ通い、毎週末、約30キロ内陸の自宅へ洗濯物を抱えて帰ってきました。日曜日の夜、夕食を済ませた午後7時すぎ、テレビアニメの「サザエさん」が終わってから、寮へ戻ります。いつも家族総出で兄の車を見送りました。
 2011年3月6日。
 帰り際に健太さんは、妹が買ってきたマカロンを口に放り込み、「うめぇ」と一言。口数の少ない兄でした。妹は子犬を抱いて見送りました。「またねー」
 11日。
 2階の自室にいた妹は、その瞬間、宮城県沖地震が来たと覚悟しました。あまりの揺れに、床が抜け、1階に転落し、終わるな、とも思いました。
 つづく余震も激しく、立って歩けず、お尻で滑り落ちるように階段を下り、外の車へ。車中でテレビを見ます。玄関前の父の大声が聞こえました。「健太、やばい」。何度も何度も繰り返していました。その声を耳にしながら、テレビに映る女川港一帯を凝視しました。街は海の下に沈んでいきます。
 13日。
 兄と連絡がつかず、両親と妹は仙台の銀行本店へ出向きました。妹は、玄関前に止めた車の中で待ちました。父は1階の内線電話から9階の人事課を呼び出しました。受話器の向こうから「支店の屋上へ避難した」と聞かされました。受話器を置き、茫然として本店を出て、妹に伝えました。「屋上にのぼったらしい」
 
 悲鳴を上げた、と妹は記憶しています。
 「なんでよ。どうしてよ」
 そんな言葉を叫びつづけました。犬の遠吠えのようだった、とも記憶しています。通りがかった自衛隊員が驚いて「大丈夫ですか」と寄ってきました。悲鳴を抑えられません。叫びながら、もう無理だ、と思っていました。テレビで見た映像がよみがえりました。
 
 約半年後、兄は海から帰ってきました。
 対面はかないませんでした。
 ひつぎを見つめて思いました。
 私の心臓を移植してでも生き返らせることができたら。
 いまも、その気持ちが心の底に残っています。
 
 12年春、妹は専門学校を卒業し、就職しました。勤務先は津波とは無縁の地。数人の上司にしか、兄のことは伝えていません。
 「きょうだい、いるの」と聞かれると、「いや、いない。ひとりっ子」と答えていました。「きょうだいは」と聞かれるたび、脳裏に女川港の映像がよみがえります。もがき苦しむ水中の感覚を思い、息苦しくなります。
 職場の何げない会話が耳に入ります。「昨日の震災ドキュメント泣けたね」「震災のことはだいぶ忘れちゃった」。自分から切り出しても、笑われるかもしれない。軽く受け流されるかも。そう考え、兄のことはとても話せませんでした。
 
 両親は、悲しみをはらいのけるように裁判や署名活動に意識を傾けます。が、朝に晩に家では涙をぬぐっています。その姿をずっと見守ってきました。いまはもう母の胸にすがって泣くことはしません。ひとりきりの浴室で泣きます。
 「もう生きていたくない」「生きる楽しみもない」……。そう両親が嘆くのを聞いてきました。当初はつい「お兄ちゃんのかわりに、私がいなくなればよかった」と返したこともありました。このごろは黙って聞いています。
 
 両親は、墓石に、兄の名前の一文字、「健」を彫ることにしました。
 母は、妹に「書きなさい」と言いました。
 その言葉を待っていました。
 自分に出来ることはこれしかない。
 兄のために何も出来なかったから。
 兄が中学2年の時にしたためた書をまねて、練習しました。
 最後の右はらい。妹は下へ流しますが、兄のものは上へ向かいます。
 その日のうちに仕上げました。
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 今年8月11日。
 両親、兄妹の同級生、同級生の親たち約20人が仙台で街頭署名に臨みました。父は妹に「一緒に行くんだから」と告げました。反論を許さぬ口調でした。
 内心、いやでした。
 恥ずかしさもあります。
 知人に会ったらどうしようかと困惑しました。
 メークを変え、髪形も変え、眼鏡をかけて行こうか。あれこれ考え、でも時間切れで、そのまま、気温が30度を超す炎天下の街頭に2時間、立ちました。
 自分に驚きました。
 知ってほしい、兄のことを――。思いがわきあがり、道行く同世代の人、祖父母世代の人に声をかけ、チラシを配り、署名を頼みました。無我夢中でした。
 この日、皆で800枚のチラシを配り、424人の署名を集めました。 

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    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

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