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​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第35便 美智子さん姉妹<7> 浜の碑

8/19/2014

 

 牡鹿半島のあちこちの浜で同じ言葉を刻んだ古い石碑を見つけます。
女川町の離島、出島(いずしま)の港のそばにもあり、町中心部の鷲神浜(わしのかみはま)にもあります。写真は、町の南、野々浜(ののはま)で見つけた碑です。
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 1933(昭和8)年3月3日に三陸沿岸を大津波が襲いました。翌年、その教訓を碑に刻んだのです。
 
 銀行員の美智子さんのお母さんは、農家に生まれ育ち、漁師の元へ嫁いできました。
 お母さんに、60年のチリ地震の津波について尋ねました。
 「昭和35年の5月24日ね」
 日付がすぐに出てきます。
 その前日、南米のチリで発生した大地震は、大津波を引き起こし、それは一昼夜かけて太平洋を約1万7000キロ越え、三陸沿岸に達しました。
 お母さんの記憶は今も鮮明です。
 平屋の自宅から、近所の2階建ての家へ、避難を始めます。
 生後2カ月の三女、恵子さんをお母さんがおぶります。
 お母さんは、両腕に米櫃(こめびつ)もかかえます。
 2歳の次女、礼子さんは、おばあさんの背に。
 まもなく4歳になる長女、美智子さんは歩かせます。
 履かせた長靴に水が入ります。玄関前を下駄が流れていきます。
 かっぽら、かっぽら、音を立てて、美智子さんは歩き出します。
 おばあさんは、美智子さんの小さな腕に腰ひもを結びつけ、そのひもの端を自分の帯に縛りつけたうえで、小さな手を握っていました。
 「ぜったいに離れないようにね……。それなのに、どうして」
 半世紀あまり前をたどっていた記憶は、一気に2011年3月11日へ戻り、お母さんの言葉は涙で途切れました。
 
 12年8月。
 2度目のお盆も、新盆の時と同様、お母さんは提灯に美智子さんの名前も掲げました。
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​ 「まだ自分の法名を覚えていないかもしれないでしょ。迷わないように、ここへ帰って来なさいって、名前を書くの」
 お仏壇には、おじいさん、おばあさん、お父さんと美智子さんのお位牌があり、その奥にもう一つ、小さなお位牌があります。
 美智子さんたち3人姉妹の弟、信也さんのお位牌です。生後4カ月で急逝しました。
 礼子さんは覚えています。「色白でね、男の子だけど、きょうだいの中で一番『美人』だったさぁ。私、5歳だったけど、おんぶしたのよ」
 
 長男をなくし、さらに長女もなくしたお母さんの悲しみを見守ってきた礼子さんは、その頃、ようやく決心しました。お母さんが望むのなら、やりぬこう、と。
 12年9月11日。お母さんは、これまでご紹介してきた健太さんの両親、祐子さんの家族と共に、銀行に対して損害賠償を求める訴えを起こしました。大津波に備え、2階建て支店の屋上ではなく、近くの堀切山へ避難するべきだった、と訴えたのです。病身のお母さんに代わり、礼子さんと恵子さんが法廷へ通います。
 
 13年8月。
 3度目のお盆を前に、「支店の跡地に灯籠を置きたい」と健太さんの両親から相談を受け、礼子さんはペットボトルで灯籠を作りました。
 礼子さんと恵子さんは13日、跡地に12個の灯籠を置き、手を合わせました。「早く帰って来て」。祈る言葉はいつも同じです。16日は、家の玄関先で送り火をたき、12個の灯籠にも火をともしました。
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 13年12月4日。11年3月11日から1000日目。
 その夜、礼子さんは親友からメールを受け取りました。
 「止まった時間は、非情にも勝手に動いているけど、あの世があるなら、私たちが逝った時に震災後の様子と突然の別れの辛さを話し合い、そして、それでも今まで生きてこんな楽しいこともあったんだよ、こんな人たちとの出会いもあったんだよ、そして、次の世代へちゃんとした防災を伝えてきたからね!! と胸張って会いたいね。それには、今の自分を大切にして、健康に気をつけるんだよ。では、おやすみなさい」
 家族ぐるみで30年以上親しくしてきた友だちです。礼子さんが美智子さんを捜す日々に10キロ近く体重を落としたことを知っています。美智子さんに代わる惣領娘となって張り詰めた日々を送っていることも、わかっています。
 
 14年2月25日。仙台地方裁判所の判決は、震災前も震災当日も支店の屋上を越す津波は予見できなかったという銀行の主張をすべて認め、屋上への避難は合理性があると判断し、お母さんたちの訴えを退けました。お母さんたちは、その日のうちに仙台高等裁判所へ控訴しました。
 
 「津波の時は高台へ避難」。その教えが、浜で生まれ育った礼子さんには刻み込まれています。「浜の常識」を「社会の常識」として次の世代に伝えたい、と願うのです。

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    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

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