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​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第36便 美智子さん姉妹<8> シウリ

9/11/2014

 

 2013年10月15日の朝。女川湾の北、尾浦(おうら)の浜で、カキむきの作業が始まりました。被災した共同処理場を建て直し、震災後初めてのカキむきです。
 水揚げ後、半日殺菌したカキを手に、「むき子」と呼ばれる人たちが小刀を使って次々に殻をむき、真っ白な身を取り出します。その手元へ処理場の窓から朝の光がふりそそぎます。むき子たちが交わす声。殻が重なる音。小さな浜が活気づきます。
 水揚げされたカキを見に行きました。
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 カキのまわりにいろいろな生き物がついています。無農薬の野菜についた虫を連想します。大地と同じく、大海も、生命の宝庫です。
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ムール貝が多いですね、と声をかけましたら、漁師さんは「震災前は、このあたりでムール貝はそんなにつかなかったんだけどね」と話していました。
 
 この後、私は、美智子さんの家を訪ねました。
 ムール貝の話をしますと、「ここではシウリと呼ぶのよ」と教わりました。
 「シウリは、お湯につけて退治するの」と妹の恵子さんは語り始めました。カキ養殖は家業でした。子どもの頃からよく手伝っていました。その頃の家でのシウリ退治の方法を解説してくれました。
 シウリも食べられるとはいえ、それはカキが育つ場所を奪い、餌も同じプランクトンを食べてカキの成長を妨げるため、退治するのです。船上で、灯油缶に廃材をくべて火をたき、その上の釜で海水を沸かします。温度計で測りながら、70度になるまで待ちます。カキをつるしたロープを引き上げ、70度の湯にくぐらせ、ロープをまた海へ戻します。
 
 恵子さん、そんなことをしたら、カキ料理が出来てしまうのでは?
 「一瞬、お湯につけるだけだから、大丈夫なのよ」
 なぜ、その一瞬にシウリだけ退治できて、カキは無事なのですか?
 「そうねえ」。恵子さんも首をかしげます。「お母さんさ、聞いてみて」
 すると、82歳のお母さんは、口を大きく開けて、ひと声「あっ」と発しました。あとは口をつぐんで満面の笑みを浮かべ、私を見つめます。その表情は「これがヒントよ。あててみなさい」と語っているのですが、いいえ、まったくわかりません。
 お母さんは笑顔で説明を始めました。
 「シウリは熱いと、『あっ』と口を開けてしまうの。開けた途端、熱湯が入るでしょ。カキは『あちっ』と口を閉じてしまうから、熱湯は入らないの」
 
 次の日は台風26号の襲来です。荒波は海中の小さなカキを振り落としてしまいました。写真は、暴風雨がおさまった夕方の女川町中心部です。海から百数十メートルのこのあたりは大雨のたびに冠水を繰り返しています。
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​ 女川町からの帰り道、美智子さんの家へ寄りました。
 牡鹿半島の付け根にある大きな入り江、万石浦(まんごくうら)のそばに家はあります。
 震災の津波をかぶって全壊しましたが、改築しました。「おねえさんがいたら、街中に移っていたと思う」と妹たちは口をそろえます。街中でしたら、お母さんの通院にも便利だったでしょう。美智子さんもそう考えて引っ越したでしょう。けれども、妹たちは、姉の思い出が詰まった地に残ることにしました。
 
 美智子さんの家でも、昔も今も、大雨が降れば冠水を警戒します。地震の時は津波情報に注意します。注意報が出れば、眠らずに解除の知らせを待ちます。
 それが一家の習慣でした。
 台風26号に備え、恵子さんはタケノコご飯をつくりました。「台風で停電になるかもしれないからね。炊き込みご飯だと、おかずが要らないでしょ。停電で暗い中では、おかずを並べても食べにくいからね」
 それも一家の習慣でした。
 
 その秋は、万石浦でも、共同処理場が再建され、カキむき作業が再開されました。恵子さんは「カキむき場を見に行くべ」とお母さんをドライブに誘いました。お母さんは歩くのに不自由があります。60歳まで養殖漁にいそしみました。海からロープを引き上げる時は、船端にひざをつけ、体重を支えました。その後遺症です。湿布を貼っていても、つねに、ひざが痛むのです。
 お母さんは漁に精を出した昔を思い出しながら、車窓から処理場へ目を向けます。その視界に海が入ります。
 
 今、お母さんにとって、海はどう映っているのでしょう。
 「海があるから生活できるんだけど、テレビでも震災の様子を映すでしょ。あそこに巻き込まれたのかなとイライラしてくるの」
 言葉がとがってきます。
 「みんな見つかっていれば、仏様になったなと思えるけど、どこにいっぺなと思うもの」
 美智子さんと一緒に流され、今も帰らない銀行員たちの行方も思うのです。
 「海さ、嫌だね。出たくもないし、眺めたくもない。涙、出てくるもの」
 そう話しながら、また涙があふれてきました。

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    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

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