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​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第37便 床屋さん夫婦と<5> 土地の記憶

8/11/2015

 

 「ブブブ……」。パソコンの傍らで携帯がふるえ、メール到着を告げます。
 天気情報です。件名は「降りはじメール」。
 本文は「石巻市 降水予測14:50頃から」。宮城県石巻市の天候が変わるたびに届くメールです。
 窓へ目を向ければ、オフィスの外には雲ひとつない青空。眼下には日本最大の魚市場、築地市場を映しながら、まぶたの奥に浮かぶのは、雨に煙る浜、大きな黒い土嚢を積んだ岸壁、ひときわ濃くなる潮のにおい――。
 私は2014年9月、牡鹿半島駐在に終止符を打ち、東京都中央区の築地市場前にある東京本社へ戻りました。
 
 転勤を機に、このブログは第48便で結ぶことを考えながら、本社での新しい仕事と、仕事の合間に作る「石巻だより」で手一杯になり、今日に至りました。これから、時計の針を巻き戻しながら、お話ししたいと思います。

​ 2014年8月。
 床屋さん夫妻に転勤を告げ、お店の跡地で最後の撮影をお願いしました。
 
 お店は、女川町中心部の鷲神浜(わしのかみはま)にありました。女川港から約700メートル内陸の国道398号沿いです。住宅や商店が軒を連ねるように立ち並んでいました。
 第16便でお伝えした時は、土台が残っていました。14年夏に土台は消え、将来の津波に備えて地盤を高くするための盛り土が始まっていました。
 
 「私も行きたかったの」。おっ母の声が明るく弾みました。
 「向かいに石垣が残っているでしょ。お父さんの親戚のうちでね。庭にいろんな花を植えていたの。何か残っていないか、ずっと気になっていたの」 
 国道をはさんだ向かいの家のことです。石垣で土留めをした上に立っていました。高さ約2メートルの石垣は、コンクリートのビルまで押し流した津波に、耐えぬきました。
 震災後、慎重なおっ父は、足元が危ないからと反対していましたが、14年8月におっ母と私と3人で初めて足を運びました。
 
 石垣の上の海水をかぶった土の中から、竹がふたたび育っていました。
 震災前、常連客の太公望たちは散髪に来るたび、向かいの美しい竹に目を細めていました。釣竿にしたくなる竹でした。
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 おっ母は石垣の脇の階段をどんどん上っていきます。一歩一歩確かめながら行くおっ父が「あぶない」と注意するのを「大丈夫」と制し、一心に竹をかきわけていきます。
 「あら、あらぁ、あった……」。おっ母の目が潤みます。石垣の端でザクロの小さな木を見つけました。
 赤いつぼみがついた枝を丁寧に手折ります。ザクロもふたたび芽吹いたのです。
 おっ母は小枝を手に、庭を覆う夏草を黙々とかきわけ、目を凝らします。家人が大事にしていた萩のつぼみも紅に色づいていました。
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​ 夏草の中で裏山を見上げました。
 山肌のコンクリート壁をよじのぼって逃れることができた人。のぼれずに流された人。それぞれを思います。
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 お店の跡地は、第16便を記した時には入れたのですが、今回は立ち入り禁止になっていました。柵越しに見つめます。見納めです。
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​ 15年夏、竹は消え、石垣も消えました。跡地では土盛りが進んでいました。
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​ 女川町では、住宅4411棟のうち、被害を免れたのはわずか477棟。ほぼ9割の家屋が被災しました。663棟は一部損壊、201棟が半壊。大規模半壊は146棟で、半数以上の2924棟が全壊でした。1棟1棟に掛け替えのない思い出がありました。
 
 床屋さんの仮店舗がある土地400坪にも、記憶が詰まっています。
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 東京へ転勤後、床屋さんから地主さんを紹介していただきました。
 地主さんは、両親と妻と娘と息子の6人家族でした。
 土地を購入したのは1999年。翌2000年に2階建ての家を建てました。屋根瓦は黒。外壁はグレー。庭に花壇を作り、芝生を張り、常緑樹を植えました。
 生垣は秋に紅葉しました。車庫があり、耕運機も置いていました。130坪を畑にして、ピーマンにシシトウ、ジャガイモやトウモロコシ、イチゴも育てていました。柿の若木もありました。
 四方を山に囲まれた閑静な住宅街の一画でした。家の脇を小川が流れていました。川の名は、町名と同じ、女川(おながわ)。奥山から谷間を伝い女川湾へ注ぐ川です。住宅街から湾までは川伝いに約1・5キロ。街から海を望むことは出来ませんでした。
 
 今は川幅を広げる工事が進んでいます。やがて地主さんの土地でも工事が始まります。「手放さざるをえないですね」。地主さんは穏やかに語りました。
 「しょうがないでしょう」
 そう口にしてから言葉を継ぎます。
 「頭の中には入っていますからね。隅から隅まで覚えています。記憶の中にありますからね」
 向こう岸から見た家の姿も覚えています。夕食後に運動がてら、妻と一緒に30分ほど歩きながら見た夜景も、覚えています。
 
 地主さんは町職員でした。
 実は、私は駐在中の3年間に何度も彼を町役場に訪ねていました。町の事業を説明する彼の口調はつねに穏やかで、いつも笑顔でした。家が高台にあって無事だった職員たちもいます。彼もその一人だと私は思い込んでいました。
 家は流されました。地主さんは息子と2人きりになりました。
 捜して、捜し歩いて、娘の愛読書を見つけたことを、いつもの笑顔で教えてくれました。
 
 今、400坪の土地に立つのは、輸送用コンテナを利用した仮設店舗2軒だけ。床屋さんのお店と美容院です。
 散髪にやってきた地主さんは、夏草が生えた更地を指し、「あそこは畑あったから、キュウリさ植えらいん」と勧めたこともあります。
 床屋さんは、散髪を終えた地主さんの姿を、今も心に残しています。
 更地に止めた車の脇で、しばらくの間、じっとたたずんでいました。

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    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

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