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​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第40便 床屋さん夫婦と<8> がんばれた

12/2/2015

 

 床屋さんが入居した公営住宅で、新しい行政区をつくることになりました。
 2014年7月、行政区の初総会が開かれました。
 約100人が公営住宅の敷地内にある集会所へ集まります。新築です。仮設の集会所ではありません。窓枠の厚みも床の木目も頼もしく、喜びをかみしめます。でも、それは住民ではない私の感慨。牡鹿半島に点在する浜辺の集落の人々が一堂に会するのです。初対面同士、緊張や不安もあったでしょう。
 その空気を和ませたのが役員たちでした。一人ひとり、皆の前で自己紹介します。「私は8号棟の」と切り出すと、周囲から「4号、4号」と訂正が入ります。3年近く暮らした仮設住宅では8号棟だったため、言い間違えたのです。次の人も間違えて、なんと、おっ父までも。どっと沸きました。
 
 おっ父も、役員に加わりました。

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​ 最初は断ったのですが、昭和4年生まれの大先輩も加わっています。昭和21年生まれのおっ父が引き受けないわけにはいきません。
 
 総会の後、役員会の開催です。日常の課題を話し合います。
 こんな要望も出ました。
 「『エレベーターは降りる人が優先』と講座的なものを開いてくれたら。お年寄りは、わかっていらっしゃらない方がいると思う」
 生まれて初めてのマンション暮らしとなれば、エレベーターに戸惑うお年寄りもいるでしょう。
 発言に土地の言葉が混じります。
 「雨降りの時、1号棟から8号棟を歩いて回るといい。暖かい時はいいけど、たんぺなると、高齢者は大変だからね」
 お年寄りの足元を心配し、点検してほしい、という話です。育った浜は違っても、通じ合う言葉に、皆、うなずいています。
 「たんぺ?」
 東北育ちではない私は、ノートに書き留めて、あとで意味を教わります。
 「たんぺ」は女川育ちのおっ父の表記。石巻育ちのおっ母は「たっぺ」。シャーベット状に凍っていることを3文字で表現できる優れた言葉です。
 
 公営住宅に入居当初、おっ母は隣の長女宅を訪ねては、「なんだい、また鍵かけて」とこぼしました。鍵はかけなくてもいいのに、と。長女からは「マンションでは鍵をかけるんだよ。そういう習慣つけらいん」と諭されたそうです。
 
 おっ父は2年目の役員は辞退しました。
 いよいよ、お店の本格再開が迫ってきたからです。JR女川駅の駅前商店街に加わります。2015年末にオープン予定です。
 
 元々は、自宅兼店舗でした。奥に四畳半があり、横になれました。お客さんも一緒に足をたたんでお茶っこをします。コンテナの仮店舗では横になれず、夕方になると、疲れます。ただ、今後はもう自宅兼店舗は望めません。
 この間ずっと、おっ父は悩みました。
 「毎日毎日、どうすっぺ、どうすっぺ、とパニック」
 そう嘆いた時もあります。70歳は目前。後継者はいません。やめることも考えました。が、「やめたらば、女川さ、いられねえ」と考え直しました。お客さんたちへ合わせる顔がないというのです。責任を感じています。
 おっ母も背中を押しました。
 「お客さんがカツオもシウリも持ってきてくれる。キャベツも大根も。梅干しも。ありがたい。がんばって、がんばって、お返ししないと」
 
 少年客がやってきました。
 おっ母の出番です。少年はじっとしていられません。「3時までに終わらせてけろ」「ほら、動いたら、終わらないよ」。おっ父も笑いながら手を添えます。
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​ 駅前に加わると知ったお客さんたちは喜びました。離島の出島(いずしま)から通う人には足の便がよくなります。注文も相次ぎます。「トイレも腰かけにしてけろよ」「椅子も脚あげるの、入れろよ」。そんな声を聞き、夫妻は、駅前での再開に踏み切ってよかったと、また励まされるのです。
 
 自宅兼店舗は、3階建てでした。
 あの時。
 1階の店のレジが落ち、停電になりました。
 入り口の自動ドアを手動で開けました。念のために。建物がゆがんでドアが開かなくなってはいけないので。
 自転車に乗った行政区長が顔を出しました。
 「だいじょうぶか」「うん、だいじょうぶ」
 区長は次の家へ向かいました。それが区長の姿を見た最後でした。
 
 2階は、冷蔵庫の中身が散乱して、足の踏み場がない状態でした。
 おっ母は片付けたかったのですが、おっ父に「今日は仕事になんないんだから、下りろ」と言われ、渋々、1階へ下りました。
 
 隣に住む人たちが「床屋さん、どうすっぺ、どうすっぺ」とうろたえていました。足の不自由な家族がいます。おっ父は「いまのうち、車さ乗せてたほうがいいよ」とすすめました。車で避難できるように。
 ただ、おっ父自身は避難を考えず、駐車場の車にエンジンをかけ、そこで暖をとっていました。
 カーラジオが「6メートル強の津波」が来ると告げていました。
 内陸育ちのおっ母にはイメージがわきません。
 おっ父は落ち着いて話しました。
 1960年のチリ津波は、お店より約20メートル海寄りの熊野神社の鳥居下に達しました。大津波といっても「あそこまでしか来ねえんだから。ここまで来たら女川はなくなるんだからな」。
 おっ母は「そうなんだ」と思いました。
 
 近所の人々が、家の中を片付けたり、2階の窓から外を見たりしているのを目にしながら、おっ母は、ふと思い立ちました。
 「お父さん、店から、お金もってきてよ」
 天の啓示のような一言でした。
 
 十人十色とも言いますから、性格を血液型4種類で分類できるものではないと思うのですが、おっ母には自分が大雑把なO型で、おっ父が几帳面なA型だったことが今につながっているように思えてなりません。
 
 おっ父が店に入ろうとすると、入り口のマットの上に、倒れた植木鉢の土がこんもりとあるのです。
 おっ母は言います。「私だったら、土があっても気にせず、ぐんぐん入っていって、あ、こいつも、こいつも、と持って来ようとして間に合わなかった」
 
 おっ父はマットを抱えて、店の前の側溝で払い落とそうとしました。
 その時です。
 ガリガリ、バリバリ、と轟音が聞こえました。
 見上げると、海側の2軒先、2階建ての屋根の上に、その倍の高さのがれきが見えたのです。水は見ませんでした。家の柱、壁、床、基礎の木材が積み上がっています。津波だ。瞬時におっ父は理解しました。
 
 津波は側溝をさかのぼってきてはいませんでした。
 今にして思えば、2軒先ではなく、もっと海寄りのものが、あまりの高さに間近に見えたのでしょう。時間の猶予はありました。
 
 慌てて車へ戻り、おっ母を引きずり出しました。
 「出ろ、出ろ、出ろ、津波だから」
 エンジンをかけていたのですから、そのまま運転して路地をぬければすぐ高台だったのですが、すっかり動転し、おっ母を連れて高台へ走りました。
 
 高台の道路まで来て振り返りました。
 バババババ、と大音響の中、近所の大きな家があっという間につぶされていきます。足元の道路下には、波がぶつかっては戻り、ぶつかってはまた戻るのを繰り返していました。
 「えっ。えっ」
 おっ母は茫然としました。悲しみと表現することもできない、言いようのないものが胸の内を占めます。
 それからです。
 長女と孫息子の名前が口をついてでてくるのです。
 なぜなのか、自分でもわかりません。
 苦しくて、苦しくて、足が前へ進みません。
 長女と孫息子の名前を呼びながら、泣いて、泣いて、泣き続けました。
 大泣きして動かないおっ母を、おっ父は「もっと歩け、もっと歩け」と怒りながら引っ張っていきます。
 
 夫妻の後から来る人はなく、車も来ません。
 高台へ避難した人々の中で、夫妻が最後の避難者でした。
 
 とてつもない光景に、おっ父はまた立ち止まります。
 「おっ母、見ろ、どっかのうちが燃えて流れているよ」
 その時、おっ父が見たのは押し波だったと言います。
 おっ母が記憶するのは、引き波の中の火災でした。
 目に映しても、頭の中は真っ白です。
 現実とは思えず、映画を見ているようでした。
 
 高台へ避難して2日目の朝でした。
 おっ母は外に立ち尽くしていました。
 長女一家が気掛かりですが、長靴がなく、探しに行けません。
 おっ父が「おっ母、寒いから、中さ入れ」と声をかけた時です。
 坂の下に人影が見えました。
 長女でした。長靴を履いています。
 「あぁ。おっ父。おっ母」
 低く力のない第一声が、今もおっ母の耳に残っています。
 「ああ、よく来れたなあ」
 そう答えた後、おっ母の記憶には、長女が孫娘を頼んできたから帰ると言い残したことしか、ありません。おっ父は、夫も息子もだめだったと長女が語ったことを覚えています。「私も行く」と言い張るおっ母を、長女は「長靴でなければ行けないから、だめ。ひとりで帰る」と押しとどめました。坂を下りていく長女の後ろ姿を、今も思い出すたび、涙がこみあげます。
 
 次の日、夫妻は長靴を借り、服も借りたものを着込み、2キロ余り先の総合体育館へ向かいました。
 1階の人込みの中、かまわずに声を張り上げ、孫娘の名を呼びます。2階へ。人々はまばらに座っていました。その奥へ。隅にいました。2人は、ぽつねんと座っていました。孫娘は、夫妻の顔を見ても、無表情でした。言葉も発しません。夫妻は着込んできた服をすべて置いていきました。
 
 その翌日、夫妻は、借りた車に、借りた布団を積み込み、体育館へ向かいました。2階へやってきた夫妻に、長女は「ここにはいんな。大変だから。おっ父は風邪をひく」と反対しました。おっ父はまもなく65歳になる時です。町外へ避難することも出来ました。しかし、夫妻は、長女と孫娘と一緒にいようと決心していました。おっ母はこう振り返ります。「『帰れ、帰れ』と言われてもな。決めて来たから。そばにいる。そばにいるだけでも」
 
 長女は、夜明けと共に、一人きりで夫と息子を捜しに出かけます。
 孫娘は、ぼーっとしたままで、何も話しません。
 夫妻は、言葉のかけようもありません。話しかけられるのを待ちました。
 一言、二言漏れると、相槌を返す、それを続けました。
 
 体育館に、各世帯の布団を仕切る段ボールが届きました。
 皆、段ボールの外側に、表札替わりの苗字を記します。
 長女は、夫の姓と旧姓を並べて記しました。二世帯同居です。
 来てよかったのかな。おっ父とおっ母は安堵しながら見守りました。
 
 「体育館の生活をしたら、なんでもできるさ」
 今も夫妻はそう語ります。
 体育館での避難所生活は約8カ月におよびました。
 「あそこでがんばれたんだから、これからも、がんばれる」
 「がんばった」ではなく「がんばれた」。
 大事な違いです。
 祈りのこもる夫妻の言葉です。
 がんばれます。どこまでも歩き通せます。長女も。孫娘も。

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    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

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