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​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第42便 祐子さんの家族<6> 保健室

2/11/2016

 
 
 2015年12月の夕方、仙台駅前を急ぎます。
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​ 白い息を吐く私の額からは玉のような汗。待ち合わせ場所に着くと、開口一番に「更年期でね、汗かいちゃうの」と説明します。待ち合わせた相手は「大変ですよねえ」とうなずいてくれました。ありがとう。同い年の友のようだわ。いえいえ、相手は28歳下の大学4年生。祐子さんの長女です。
 
 あの日は、石巻高校の2年生。授業中でした。
 長女が大学2年生の時に記した文章から当時をたどります。

 ■やはり真っ先に心配したのは母のことです。電話を何回もかけましたが、繋がりませんでした。でも近くに町立病院があるし、そこに行けば大丈夫だろうと思いました。行っていないなんて考えは全くありませんでした。
 学校は山の上だったので、大津波が来たということはワンセグで見たニュースで知りました。ちょうど町立病院が映り、駐車場に瓦礫の山が見え、愕然としました。もしかして、と少し不安になりましたが、考えないようにしていたと思います。
 
 教室で避難生活を送ります。
 入浴できず、結んだ髪はガチガチに。
 「気持ち悪いー」と嘆いたのは最初だけ。
 やがて、もう、それどころではなくなります。
 男子生徒たちが山を下り、瓦礫の中から食品を拾い集め、皆で分けて食べました。
 
■しばらく学校に泊まり、なんとか充電できたところで、父からの留守電に気づきました。母のことを何も言っていなかったので、ますます不安になりました。不安というか、怖かったです。またしばらくして、連絡がついた仙台の兄のアパートに行くことになりました。
 
 約1週間後、先生の車で仙台市の長男の元へ連れて行ってもらいました。
 長男は当時、大学2年生でした。
 
■そこで父と電話が通じて、母が見つからないことを知りました。本当に信じられませんでした。頭が真っ白に、とはまさにこのことで、意味がわかりませんでした。あの朝、何を話したかとか、全然覚えていないし、これからどうすればいいんだという感じでした。それからしばらくほとんど泣いていたと思います。
 
 約2週間後、長女は女川町の家へ戻りました。
 同居の祖父母は、孫娘の胸中を案じ、どう迎えたらいいか悩みました。
 ところが、孫娘は玄関を入るなり、「ただいまあ」と明るい声を上げたのです。
 祖父は前年に大病したばかり。祖母は難病を長く患っています。
 孫娘も、祖父母の心中を思いやりました。
 
 11年4月21日、最後の高校生活が始まりました。
 母に代わり、父がお弁当を作り、祖母が水筒を用意します。
 一緒に通っていた中学時代からの親友はいません。
 あの日、風邪をひいて高校を休み、犠牲になりました。
 誰にも母のことは話しませんでした。
 重いかなと考えました。
 話した後の展開も考えます。
 その話ばかりされるのも。
 かといって、いきなり別の話に切り替わるのも。
 
 授業中、急に涙があふれてきます。
 休み時間に「保健室、行ってくるわ」と小さく言って教室を出ました。
 朝は教室に入るものの、その後に保健室へ通う毎日でした。
 
■新学期が1カ月ほど遅れて始まりましたが、しっかりしなきゃと思いつつも、保健室で泣いていたことが多かったです。中高と一緒だった友達も亡くなってしまうし、高3なので受験のこともあったし、とてもつらい日々でした。
 奨学金の話をいただくこともありましたが、ありがたいと思うと同時に「震災遺児」の文字に、なんで私が、と思わずにいられませんでした。
 葬儀をすることになったときも、信じられなかったし、遺体もないのに、とか、まだ死んだと決まったわけじゃないしとか、でも1年経って生きていないだろうとか、心の中はぐちゃぐちゃでした。
 
 11年12月11日、祖父母が求め、父は葬儀を行いました。
 今に至るまで長女が仏前で手を合わせることはありません。
 祖父母の前で泣くこともありません。母の話もしません。
 祖母は、あえて笑いながら「流されてハワイあたり行って、ハワイアンでも踊ってんでねえかなあ。5年でも7年でも経ったら帰ってくればいいさあ」と話しかけてみたこともあります。長女は何も返しませんでした。
 
 唯一、泣くことができた場所は、保健室でした。
 
 そこには久美子先生がいました。
 生徒全員の事情を承知しています。
 親友は書道部員で、久美子先生が顧問でした。
 感情を表に出すのが苦手な長女にとって、竹を割ったような性格の親友は掛け替えのない友でした。母と親友。大切なものを二つも同時に失い、どうしようもなくなって保健室へやってきたことは、聞かずとも、わかりました。
 「どうしたの?」と迎え入れる言葉は、ほどなく「また目から水が出てきたの?」に改まりました。「今日ちょっとだめなんだ」と聞かされれば、「じゃあ、声かけないからね」。
 
 保健室にひとり掛けのソファがありました。
 誰からも見えない空間です。
 そこが指定席になりました。
 声も出さず、大粒の涙をポロポロこぼします。
 ティッシュペーパーの箱を手に泣きました。
 
 箱が空になる頃、久美子先生は声をかけます。
 「ほら、あんだの涙、でかいから、水分なぐなっでしまう。脱水になるとひどいからさ、お茶でも飲みなさぁい」
 
 根掘り葉掘り尋ねることはしません。
 保健室ではいろんなことを聞かれてしまう、と思われないように。
 保健室を苦しくなる場所にしてはならない。そう心していました。
 「はい、熱、計って」
 問診の中で尋ねるように心掛けました。
 「夕べ、何時に寝たの?」「朝はなに食べたの?」
 心の変調は体に表れます。
 体のサインを見逃さないように努めました。
 
 長女は生理不順が続きました。
 1カ月止まらなかったり、逆に止まってしまったり。
 貧血がひどく、通学路の坂を上るのもつらくなり、一気にやせていきます。
 そのつど久美子先生が病院へ連れて行きました。
 先生もやりきれなさを抱きしめていました。2001年に高校3年生の長男を交通事故で亡くしました。面と向かっては口にできないそのことを、病院への道中、ハンドルを握りながら語りました。長女も打ち明けました。
 「お父さんも、おじいさんも、おばあさんも頑張っているから、うちで絶対、悲しい顔できない」
 
 長女は吹奏楽部員でした。中学校からトランペットを続けていました。石巻高校を受験したのも、吹奏楽部の赤いブレザー姿に憧れたからです。
 教室と保健室を行き来しながら、放課後は部活に出ます。
 一心に演奏する時間に救われました。
 その様子も久美子先生は見守っていました。
 
 先生も手探りでした。反省もあります。
 石巻高校は私服で登校します。保健室で服装の話になりました。
 「お母さんに服を選んでもらっているの」「そう。お母さん、趣味いいじゃない」
 そうして打ち解けてきた夏休み明け。
 「お母さん、どんな人だったの」と尋ねたことがあります。
 長女は黙り込んでしまいました。
 ハッとしました。いけない。過去形で尋ねてしまった。
 お母さんは今もいる。そう教えられた一瞬です。
 
 12年春の卒業式。長女は恩師の隣で笑みを見せます。
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 久美子先生は「よぐ頑張ったね。実習、ここに来るんだよ」と送り出しました。
 進学先は仙台市の大学。めざすは養護教諭。保健室の先生になると決めました。
 
 15年6月。
 私は、祐子さんのご主人からメールを頂きました。
 
 こんばんは。父の日のプレゼントを持って、今晩、娘が帰ってきました(^^♪
 
 写真つきです。日本酒とリボンのついた紙袋。中身はハンカチ。
 石巻高校で1カ月間の教育実習が始まるのです。
 
 定年退職したばかりの久美子先生と再会しました。先生はカウンセラーとして来ていたのです。廊下の先に先生を見つけた途端、長女の目から大粒の涙がこぼれました。
 
 保健室には、久美子先生に代わり、ベテラン先生と若手先生の2人がいました。
 長女は毎朝、2年生の教室で5分ほど話します。
 「こうして虫歯になります」「傷は、消毒するのでなく、まず洗いましょう」「ストレス解消はストレッチ。さあ、腕を伸ばして」……。重たい話にならないように心掛けました。
 朝の会を終えると、2年生の担任は「頑張ったね」と一言添えてくれます。
 後方で見守っていたベテラン先生は「今日の、よかったよ」と励まします。
 若手先生も「緊張するの、よくわかるよ」と声をかけてくれました。
 
 家では父も祖父母も応援します。炊飯、味噌汁の支度、皿洗いは、祖父の担当。「今まで一生懸命、稼いできたのに、八十過ぎて、俺、こういうのすっと思わなかった」とぼやく時もありますが、祖母が「そういうのやってると、ぼけねえから、いいから」と返します。
 長女が寝過ごした朝は、もみじマークをつけた車で祖父が送りました。
 
 最終日、2年生たちが寄せ書きをプレゼントしてくれました。
 他教科の実習生には色紙へ、長女には新品の白衣への寄せ書きです。
 いいえ、白衣ではないですね。そのガウンはピンクなので。
 生徒たちは口々に「着てみて」「着てみて」とリクエスト。ガウンに袖を通し、大きな似顔絵が描かれた背をカメラに向けます。担任と生徒たちも並び、笑顔がそろった記念撮影。
 花束も贈られました。こちらもピンク。母の好きな色。保健室で撮影しました。
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 実は――。
 長女の実習にむけ、保健室は「縁の下の力持ち」の本領を発揮します。
 後日、久美子先生から教えていただいた内幕を、ここに付記します。
 
 久美子先生は事前に、保健室の先生2人へ祐子さんのことを伝えました。
 「安心して実習できるようにしたいね」。皆で思いを共有します。
 実習生はクラス担任に預けます。長女が安心できる担任は。皆で考えました。
 ベテラン先生と旧知の仲である2年生の担任に、長女を託すことにしました。
 保健室は、どの生徒にも同じように接しながら、その生徒が最も話しやすい教職員へ結びつける役割を担います。同時に、教職員全員で生徒一人ひとりを見守ろうという雰囲気をつくるのも、養護教諭の大事な役目です。
 
 実習中、1日だけ、長女は休みました。
 先生たちは、どきんとします。
 ベテラン先生から連絡を受けた久美子先生も「えっ」と声を上げました。
 「誰か、何か悪いこと、言ったんじゃないの」と問い、こう告げました。
 「明日も休んだら、私、メールするから」
 翌日は姿を見せました。頭痛だったのです。
 先生たちは、ほっと胸をなでおろしました。
 
 久美子先生は語ります。
 「養護教諭は、目立つことのない黒衣です。苦労も多いのに、それをめざすというのです。希望して頑張ってきたのですから、挫折させたくない」
 長男を亡くした後の自分自身にも重ねます。
 「同じ年頃の生徒と顔を合わせるのは苦しかったけど、『休み休みでいいから来て』と生徒たちが言ってくれて。そこに自分の役割があり、役割を果たすことで癒やされました」
 長女も、誰かの役に立っていると感じることができれば。先生の願いです。
 「つらさは何十年経ってもなくならない。抱えて生きていくことが大事になると思う」 
 そう語る先生に、養護教諭の資質を尋ねましたら、こんな答えをいただきました。
 「知識も必要ですが、その人自身、その人の生き方が求められます」
 
 長女は口下手です。それはとても良かったんですよ、と久美子先生はもう一つ教えてくれました。保健室へ来る口の重い生徒のために、長女は最良の聞き手になりました。

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    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

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