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​​東日本大震災(2011年3月11日)の震源地に最も近かった宮城県の牡鹿(おしか)半島。その付け根に位置する女川町を中心に、半島一帯を取材してまわる記者の出会いの日々を綴ります。老親の帰りを待つ人がいます。幼子の帰りを待つ人がいます。ここに暮らす人々の思いに少しでも近づけますように。──小野智美

第45便 漁師さん親子と<5> ムは紫式部 第2話 三つの対策

12/16/2016

 

​ 智博君は2012年1月から女川第一中学校へ通い始めます。
 1学年主任は一彦先生でした。社会科の先生です。
 
 12年5月。私は学校へ一彦先生を訪ねました。
 その道中。自宅跡地で足元に目を凝らしている女性がいます。女川町へ通い始めて半年余り、ずっと気になっていました。探しつづけるのはどれほど大切な品なのでしょう。先生との約束の時刻まで間があり、青空の下、思い切って声をかけてみました。「花の芽を探しているの」。前年夏、小さなバラの芽を見つけたそうです。大事に育てていたバラでした。仮設住宅へ連れ帰り、以来、季節ごとに探します。菊の芽もありました。ランの芽も――。
 学校で早速、先生にお話しします。
 先生は聞き流すように2年1組の教室へ。
 私も教室後方へ。
 授業を見せていただきます。
 九州地方の特徴を復習します。
 「人口が多い所は」「その理由は」
 先生は矢継ぎ早に質問。智博君たち生徒は、地図を手に、一生懸命、ついていきます。
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終了間際でした。
 先生は突如「最後に小野さんからお話があります。さきほどの話を」。
 皆は一斉に私のほうへ体を向けます。
 えー、今日ここへ来る時のことですが……。
 話し始めると、生徒たちの顔にも笑みが広がります。
 ほっと心温まる時間をいただきました。
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12年6月。2年1組の授業冒頭、一彦先生はこう切り出しました。
 「津波の話はとってもつらい話だと思います」
 静まり返る教室の視線が先生へそそがれます。
「私は朝晩、日和大橋を通ります。そこの松林で私のいとこが亡くなったからです。26歳です。結婚してすぐのことでした」。虚空をにらみ、語ります。「通るたびに私は謝っているんです。私はひいおばあさんから『大きい地震が来たら逃げろ』と聞いていたのに。それをなんで言ってあげなかったのか。ごめんな、と。つらい思い出ですが、今日は『我々はどう世界に伝えられるか』を話し合います」
 ふだんの明るい口調に戻り、こう言い添えました。
 「今日は最後に、これまでの授業に参加していない智博君から意見をもらいます」
 「えっ?」。智博君は思わず声を上げます。突然の指名です。
 
 これまでの授業について時計の針をさらに巻き戻して、お話ししましょう。
 
 11年4月。教室の窓の外に青空が広がっています。
 パンと牛乳だけの給食を終え、1年1組は最初の社会科の授業を迎えました。
 教壇の一彦先生はおだやかに語り始めます。
 「愛するふるさとが大変なことになりましたね。小学校で学んだ社会科を生かして、ふるさとのために何ができるか、考えてみましょう」
 答えを求めるつもりはありませんでした。それは「小学校ではここまで学んだ。中学校では」と今後3年間の社会科を概説するための前置きでしたから。
 ところが、先生は話しながら目を見張ります。
 「私をあててよ」と言わんばかりに生徒たちが自分を凝視するのです。
 「じゃあ、黒板に書ける人は書いて」
 生徒たちは次々に立ち上がります。
 「先生、チョークがない」
 えっ。
 チョークを折って渡します。
 それでも足りず、黒板前に行列が出来ました。
 何を書いたのでしょう。
 
 「いままでの津波のことを学んで今後に生かす」
 思いをぶつけるように書いた元哉君。
 家は失いましたが、家族は皆、無事でした。
 両親は女川港そばで旅館を経営し、そこは自宅も兼ねていました。
 あの日は、港から2キロほど内陸の女川第一小学校にいました。
 地震発生と同時に津波を思いました。
 「大きな地震がきたら、津波くっから、気いつけろよ」。曾祖母からそう聞かされて育ちました。父の祖母です。当時94歳。一緒に暮らしていました。
 地震後、車で迎えに来た母は、元哉君と妹、弟、同級生も乗せて旅館へ向かいます。
 「熊野神社に行こう」。車中、元哉君は何度も何度も訴えました。旅館近くの高台、堀切山の頂上にある神社です。山腹には病院も立っています。
 内陸育ちの母は動転し、何も耳に入りません。旅館まで戻り、父も曾祖母も従業員も宿泊客も避難して誰もいないと知り、初めて切羽詰まった声で「どこ行く」と子どもたちに尋ねました。「神社」「病院」。一斉に返ってきます。車は堀切山の病院へ。間一髪でした。
 
 「避難経路を考える」
 そう黒板に記した滉大君も、家を失いましたが、家族は無事でした。
 あの日は、女川第一中学校そばの女川第二小学校にいました。
 教室の机の下に潜ります。
 テレビが落ち、ガラスの割れる音も聞こえます。
 校舎がつぶれるんじゃないかと、おびえました。
 校庭へ出ると、地割れのすごさに息をのみます。
 「津波だ」。誰かが叫びました。上履きのまま、校庭を出て、坂を駆け上がります。学校よりさらに高い総合運動場へ。ふりかえる余裕はなく、波は目にしていません。
 一中も二小も高台にあり、どちらも波はまぬがれたのですが、当時そこにいた職員の指示の下、小中学生は学校より上のさらに高い所へ避難しました。
 2日後、滉大君は父と自宅へ向かいます。
 道中の光景が脳裏に焼き付いています。
 道端に、頭から足までタオルをかけられて横たえられた無言の人々。
 道路が渋滞し、車に乗ったまま流された人がいたことを、祖母から教えられました。
 
 新入生65人のこの思いにどう応えたらいいか。一彦先生は考えました。
 11月の授業で「津波の被害を最小限にする方法」をテーマに掲げました。
 4人ほどの班に分かれて話し合います。
 ある班で「とにかく逃げる」の1点にまとまりかけた時でした。
 「ちがうよ」
 声を上げた生徒がいました。七海ちゃんでした。
 「『逃げよう』と言っても、逃げない人がいる。そういう人を助けようとして亡くなった人もいる」。そう言い終えると、大きな目から涙があふれました。
 一緒に暮らしていた祖父の話です。
 行政区長の祖父は、避難を呼びかけに出た先で流されたのです。
 級友たちはハッと顔色を変えました。教室の空気が一変します。
 
 なぜ声を上げたの。翌12年の春、私は七海ちゃんに尋ねました。
 教室は避難道路や防潮堤を造る話で盛り上がっていましたが、それでは本当の対策にならないと思いました。「みんな安心してしまっている。これ以上のことはないと思っている。そこで道路や防潮堤をいくら造っても、みんな逃げない。逃げようと思わないと、助からない。みんなに知ってほしかった。おじいさんがしたことを無駄にしたくなかったから」
 大粒の涙をぬぐいつつ、教えてくれました。
 
 七海ちゃんの当時の指摘は、休み時間に1年生全員へ伝わります。
 各班でふたたび話し合いました。
 「避難訓練をすればいい」との結論に至った班がありました。
 一彦先生が口をはさみます。
 「逃げない人はどうすればいい?」
 「震度5以上なら、みんなで逃げる決まりをつくる」
 先生はさらに尋ねます。
 「それでも逃げない人は?」
 「『逃げろ』と呼びかければいい」
 なおも先生は畳みかけます。
 「逃げない人に『逃げろ』と言っても逃げないんじゃない?」
 「……」
 その班は放課後も集まりました。
 「絆だ」
 班の1人、洸星君が口にしました。こう考えたのです。絆があれば、一度呼びかけるだけで、一緒に逃げられる。自力で逃げられない年寄りや子どもを助けるにも絆が重要だ。
 班のもう1人、麗ちゃんが共感し、こう後押ししてくれました。
 「絆は簡単にできるもんじゃないから、もっとふれあうことが大事。子ども会に大人も参加して『近所に知らない人はいない』くらいにすると、避難訓練も一緒にするようになる」
 ふだんの授業では発言の少ない生徒たちが、この時は夢中になって話し合いました。
 
 各班の発表の日。
 洸星君が説明します。先生に「なんで絆なんだ」と聞かれ、答えました。「自分たちが助かったのも、そのあと生きられたのも、絆があったからです。避難中、大人たちは、自分たちの飲み物や食べ物を子どもに分けてくれた。だから、津波対策には『絆』が必要なんです」
 洸星君はあの日、一瞬で海になる街を眼下に見ます。その夜は、中学生の兄と兄の友人のそばで眠りました。翌日、街へ。自宅は無事です。兄の友人も自分の家があったかのように喜んでくれました。彼の家は流されたのに――。その記憶が鮮明な時に導き出した答えです。
 
 こうして1年生全員で三つの対策を練り上げました。
 一、助け合えるように絆を深める。
 二、高台へ避難できる町をつくる。
 三、震災の記録を残す。
 
 冬休みに先生は宿題を出しました。「私の考えた津波対策案」を書くこと。
 伶美ちゃんは仮設住宅で宿題に取り組みました。
 記憶に刻まれている音があります。あの夜の避難所。ロウソクのわずかな明かりの中、聞こえてくるのはラジオの音声だけ。連絡がつかない人々の名前を読み上げ、そして「女川町は壊滅状態です」――。
 宿題をA4判の1枚紙に清書します。1行目。題を大きく記します。
 「まずはみんなが津波の事を知る」
 その下に「理由」を一文でまとめます。
 「3.11のとき、間違った避難のしかたや、間違った津波の知識などで亡くなった人が多いから」
 次に「そんな誤りをなくすには…①避難訓練の強化②正しい知識を身につける③催しを開く④記録に残す」と書いてから、「今回、私が題材にあげるのは『記録に残す』です」。
 町内にあった石碑について書き込みます。
 過去の津波を伝え、心構えが刻まれていたこと。
 にもかかわらず、今回、多くの犠牲者が出たこと。
 1字1字、丁寧に記します。
 「それならば、もっと全国の人達に津波の知識を広く知ってもらい、100年後・1000年後まで伝えるために記録に残そうじゃないか!!!と思いました」
 
 伶美ちゃんのそのレポートは群を抜いていました。
 「授業の宿題という域をはるかに越えていました」と一彦先生。
 この思いに応えたい。先生は奮い立ちます。
 そこへ智博君が転校してきたのです。
 
 智博君が指名を受けた12年6月の授業の話をつづけましょう。
 一彦先生は、1年生の時に作った模造紙3枚を黒板に張り出します。三つの対策が書かれています。その対策を、7月に仙台市で開かれる「世界防災閣僚会議」で発表することになりました。発表内容を授業で話し合います。
 「キーワードは『千年後まで伝えるために』です」と先生。
 会議での発表役は伶美ちゃんと愛梨ちゃんに託していました。
 智博君は、その愛梨ちゃんと机を寄せて話し合います。
 その最中でした。地鳴りです。
 皆、口をつぐみ、さっと机の下に潜ります。誰も一言も発しません。
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震源は福島県沖。マグニチュード5.2。
 机からわずかにのぞく背中。見つめる先生の目が潤みます。
 揺れがおさまり、先生は明るい声で「よし、避難訓練、終わり」。
 
 班ごとの発表に移ります。智博君たちの班は「教科書をつくろう」と提案します。小中学生へ、それぞれの理解できる言葉で、自分の命を自分で守れるように説くのです。
 先生は石碑の拓本も黒板に張りました。1933(昭和8)年3月3日に三陸沿岸を襲った津波の教訓を刻み、町内各地に建てられたものです。第35便でご紹介した碑です。
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「この石碑は町役場の玄関前にもありましたが、生かされなかった。なぜか。実態がわかんないとだめなの。石碑だけではだめ。本や教科書とセットでなければだめ。これをやんないと俺たちの子孫が同じ思いをします。ぜひ、千年後まで生きるよう、おっきな花火をあげましょう」。「でも」と先生はつづけます。「何もかも頑張れとは言いませんよ。つらいとき、苦しいときは、大人に言ってください。そのために大人はいるんです」
 では、智博君、ご意見を。
 「石碑のお披露目の時、お祭りを開いたり、一緒に本を配ったり、募金も良いと思います。世界中に経験したことを伝えていきたいと思います」
 はにかんだ笑顔で結びました。


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    Author

    小野智美(おの さとみ)
    朝日新聞社員。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から2014年8月まで仙台総局。宮城県女川町などを担当。現在、東京本社世論調査室員。


    ​*著書

    小野智美『50とよばれたトキ──飼育員たちとの日々』(羽鳥書店、2012年)
    小野智美編『女川一中生の句 あの日から』(羽鳥書店、2012年)
    『石巻だより』(合本)通巻1-12号(2016年)

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