2014年3月8日。 ようやく氷点下を脱し、0.5度まで気温が上がった朝9時。 女川中の体育館で吹奏楽部が『Time to Say Goodbye』の演奏を始めます。 第1回卒業式です。 大きな拍手が迎える中、胸にコサージュをつけた3年生67人が入場します。 卒業証書を手に席へ戻る智博君です。 答辞を読み上げるのは、女川中の初代生徒会長、竣哉君。 式直前にインフルエンザにかかって寝込み、ひと晩で書き上げた答辞は、こう始まります。 「覚えていますか? 私服で学校に登校していたあの日。まるこ山ホールに山と積まれた段ボールがあったあの頃。空の下に歌声が響いていたあの瞬間。そんな思い出を両手いっぱいに握りしめて駆け抜けた私たちの3年間が今日、終わろうとしています」 被災直後に始まった中学校生活。 卒業の日、竣哉君も智博君も仮設住宅から登校しました。 答辞はこう結びます。 「楽な道のりではありませんでした。つらいことの方が圧倒的に多かった。でも、あんな体験をした私たちだから、あんな時を生きた私たちだからこそ、できることがあります。そして、世界は、それを待っています。未来のことは誰にもわかりません。何が起きるのか、誰に出会うのか。そんなところに私たちはこれから向かおうとしています。怖くなることだって必ずあります。それでも私たちは前を向いて道を創っていきます」 涙をぬぐう女子生徒もいます。智博君は笑顔です。 竣哉君は最後に謝辞も述べます。 「私たちは普通ならばすることのない経験をすることになりました。一人だけだったら、とうの昔に挫けていたことでしょう。それでも、ここにいられるのは、まぎれもなく周りの人たちのおかげです。勉強だけではなく人生に必要なことをたくさん教えてくれた先生方、ありがとう。いつも私たちについてきてくれた後輩たち、これからの女川中はみなさんの手に委ねられました。ありがとう。顔も知らない私たちに支援をして下さり、背中を押して下さったみなさん、いつまでも忘れません。ありがとう。そして、何より、私たちのそばにいて守ってくれた家族のみんな。今度は私たちが守れるようになる番です。今までありがとうございました」 先生たちも涙をぬぐっています。 学年主任の実先生は式の最後までぐっとこらえていました。 閉式宣言の後、「保護者代表謝辞」がありました。 圭ちゃんの母、悦子さんが立ちます。 一言ずつ力をこめ、声のふるえを抑えて読み上げました。 「幼いころから知っている子どもたちのこうした成長ぶりは、どの子も、わが子のように愛おしく、うれしいものです」 どの子も。 智博君も。 圭ちゃんと一緒の保育園でしたから。 智博君が母の智子さんに「ママ、ママ」とまとわりついていた姿を覚えています。 片時もじっとしておらず、いたずら好きで元気な可愛い「やろっ子(男の子)」でした。 やろっ子のいたずらを、わが子同然に叱ったことも覚えています。 その子が、あの日から、ぐっと変わりました。 ぐんと大人しくなりました。 成長したことがうれしくもあり、成長せざるをえなかったことの悲しみもこみあげます。 「今日のこの姿を見せてあげたかったなあ・・・・・・と」 声が詰まります。 こらえきれず、ふるえる声で続けました。 「どうしても、あの方の、あの笑顔を思い出してしまいます」 智子さんのことです。 智博君は一番上の子で、圭ちゃんは一番下の子。 智子さんは、悦子さんよりひとまわり年下です。 若さあふれる智子さんの笑顔は、今も悦子さんの脳裏に刻まれています。 「本当に成長しました。ありがとうございました」 悦子さんは教職員たちへ深々と頭を下げました。 卒業生退場。 吹奏楽部は、卒業生からのリクエストに応え、レミオロメンの『3月9日』を演奏します。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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