2017年3月1日朝。 JR仙石線の陸前山下駅に降り立ちました。 ぬけるような青空の下、智博君が3年間通い続けた道をたどります。 この日は石巻好文館高校の卒業式です。 漁師さんに従い、3年5組の保護者席に腰を下ろします。 開式まで漁師さんとひそひそ話。 「大丈夫と思っていたのですが・・・・・・」 「俺も1校は受かるだろうと思っていたから」 大学受験の話です。東京の大学5校に挑み、この日までに結果が出そろいました。初志貫徹へ。もう1年、挑戦を続けることになりました。 卒業生が入場してきました。 級友の男子生徒たちと肩を並べる智博君の背に、この6年間の成長を改めて感じます。 同じ頃、中学時代の親友、竣哉君が、石巻高校で答辞を読み上げていました。 それは、この一言から始まります。 「友の大切さを知った」 竣哉君の答辞に「震災」の言葉はなく、震災の話も出てきません。被災経験のない内陸部の生徒も多かったので、あえて震災には触れませんでした。だからこそ、友の大切さを知った。そんなこともあったでしょう。 卒業式の後、漁師さんの後について3年5組の教室をのぞきます。 男子13人、女子19人。女子生徒の列に伶美ちゃんがいます。手をふる私に、笑顔を返してくれました。女川中卒業生です。中学2年の時に世界防災閣僚会議で被災経験を「千年後まで伝える」と訴えた生徒です。智博君が委員長だった津波対策実行委員会にも加わっていました。 この日の最後、校舎を背景に、漁師さん父子の記念撮影をお願いします。 背比べも。 やっぱり、お父さんより肩の位置が高いですよ、と喜ぶ私に、漁師さんは笑って返します。 「俺が立ってっとこの地盤が低いんだ」 撮影中も、ゆったりとした物腰の智博君。部活で鍛えた成果でしょうか。 中学校ではバレー部でしたが、高校では弓道部に入りました。 弓道部を選んだ理由を尋ねると、ニッと笑って一言。 「和物好きだから」 小学生の頃は、母の智子さんに連れられて、和太鼓を習いました。 女川町の離島、江島(えのしま)に伝わる江島法印神楽も学び、中学校で披露したことがあります。首から肩、手足の指先まで舞う姿に、小柄な少年がとても大きく見えました。 法印神楽は、数百年前から山伏たちが演じ、明治時代からは山伏に教わった人々が伝えてきました。江島法印神楽は、大正時代に宮城県の登米地方から師匠を招いて教わったものが今日に伝わり、今は県指定の無形民俗文化財になっています。 16年4月のこと。 部活を終えた夜、智博君はJR女川駅前の集会所へやってきました。 同じく部活を終えた女川中の卒業生たちが次々集まります。 第45便で紹介した「いのちの教科書」作りの話し合いのためです。 話し合いは午後5時から午後8時までつづきます。 途中、休憩をはさみます。 この夜は、話し合いの取材のほかに、もう一つ、私には楽しみがありました。 弓を見せてね、と智博君にお願いしていたのです。 休憩時間に早速お披露目を願うと、「あ、家に置いてきちゃった」。 次の機会はないものねえと私が嘆くのを、滉大君が聞きつけ、さっとヘルメットを手にし、バイクで一緒に行くよと立ち上がってくれました。それならば、と智博君も自転車で追いかけます。2人そろって仮設住宅まで往復してくれました。 さあ、では、智博君、弓を組み立てていきます。 弦はどう引くの。「こんな感じ」 あら簡単そう、私も、と手を出しましたら、かなりの力が要りそうです。五十肩にはよくないと、すぐに断念。 集会所前で、実際に弓を構えてもらうことにしました。 元哉君が先に構えてくれました。 中高を通じてバスケットボールを続けている元哉君。水泳も得意です。海でも平気。どんどん泳いでいきます。肩幅があり、胸板も厚く、智博君より大柄に見える元哉君が射る姿。 私はシルエットの撮影を急ぎます。 おお、いいね、いいねえ。 みんな感嘆の声を上げます。 智博君だけは不安げ。「手を離すな」と繰り返し呼びかけています。うっかり手を離すと、勢いよく戻る弦で顔を切ってしまうのだそうです。 では、智博君にお願いしましょう。 しっかり足を踏ん張り、腕をゆっくり上げていきます。 法印神楽を舞う時のよう。元哉君より大きな姿を描き出します。 矢がないため、姿勢を整えやすかったそうですが、2枚の写真を見直した智博君は「手首が曲がりすぎ。ひじが上がりすぎ」。ほおぉ。素人の私にはわかりません。 高校3年のこの春、弐段に合格しました。 さて、休憩も終え、「いのちの教科書」の話し合いも終えて、解散する時のことです。 竣哉君が弓をかついでいます。 おや、とも君は? 「先に行くから持って来て、って」 智博君はひと足先に自転車で仮設住宅へ。 2人の仮設住宅は近いのです。 竣哉君が沈みがちな時でした。智博君は、なんだかんだとわがままを発揮し、竣哉君を放っておきません。弓も使って。優しい暴君です。 そもそも、弓を持ってきて、とお願いしたのは私です。竣哉君には弓をかつがせて帰らせることになりました。滉大君には、すぐに立ち上がって智博君を連れ出し、助けてもらいました。元哉君には、智博君との対比でシルエットの写真を使わせてと頼みましたら、こう即答してくれました。「僕のことに関しては、なにしてもらっても構いません」 智博君と彼の仲間に私も支えられています。 彼らの笑顔が、私の希望です。 コメントの受け付けは終了しました。
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Author小野智美(おの さとみ) Archives
3月 2019
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